終戦直後のことです。ちょうど手配しておいたお米が手にはいり、お餅に搗いて、四人で熱海の明主様の所へお届けに上がりました。そのころの汽車は急行もなくて、朝早く新潟を出たのですが、熱海に着いたのは夜の十一時すぎでした。もう夜も遅くてひと晩駅で明かし、翌日お届けしようと思っておりました。ところが餅を持っておりますから、浮浪者が来てうるさくてしょうがないものですから、意を決し、今夜中にお届けしようと、東山荘に伺いました。
すると御奉仕の方が、「ごくろうさん」と言って玄関へ出て来ました。私どもはリュックからお餅を取出し、お渡しして「あすまた来ますから」と言って帰ろうとしますと、その人が“いや明主様がさっき九時ごろ私に、『十一時に新潟から四人で米を担いで来る。宿屋がないから泊めてやれ』と言われたので、そのように用意してあるから”と言うのです。
私はびっくりしてしまいました。私ども事前に連絡をとったわけではないのですのに、どうして明主様はご存じだったのか、いまでも不思議でなりません。そして、当時御面会いただいていた『光明の間』には、 四人のふとんがチャンと敷いてありました。