明主様はお忙しかったせいもございましょうが、子供たちにはどちらかと申せば、放任主義でございました。信仰も特に強いるようなこともありませんで、『人間は好きなことをするのが一番よい。だけど、ただ、泥棒や 巾着切は困るよ』などと申されまして、大体したいことをさせて下さいました。
ただ、みんなが不自由している終戦後のことですから、賛沢は戒められまして、家にそのころ車がございましても、それを私どもが無闇に使ったりいたしますと、『なんだ若い者が』と言って叱られたものでございます。信者さんの奉仕の誠と私生活とを立て別けておられたことと存じます。私どものお小遣いなども、世間でみますよりは、ずっと質素だったようにおぼえております。
また、挨拶ということもやかましゅうございました。私はよく朝寝坊をいたしましたが、『寝坊してもよいから挨拶だけは必ずいらっしゃい』とおっしゃるのです。しかし、おそく挨拶にまいりますのは、まことに体裁の悪いものでして、小さくなってまいりますと、『やあ、きょうはバカに早いね』なんて、必ず何かからかいなさるものですから、ほんとうにきまりが悪くて、もうあすからは早起きしましょうと、よく思ったものでございました。
このように、だれとでもユーモアで笑わせながら、それでいて胸の奥にキュウと泌み入るように、お諭し下さるのが明主様のなさり方でございました。
たとえば、お食事の時など、よく明主様はしゃれを言って笑わせられまして、にぎやかなお食事でございましたが、また、しばしばとても私どものタメになるようなお話もなさって下さいました。たとえば、若い時の経験などを通して、いわゆる逸話めいた話をされ、たまたま同席しておられるお客さま方も、ほんとうに感心して聞いておられたものでございました。
それから、公平ということですが、子供たちも御奉仕の方たちも同じでございました。ご浄霊などをお願いいたしましても、やはり重い人から順ぐりで、私などはもともと丈夫なせいでしょうか、いつも最後で、それもたいてい二、三分ぐらいでした。時には、「まだ頭が痛いのに」と申しましても、『そのうちに治るよ』なんて、ていよくおしまいにされてしまったものですけれど、たしかにそれで、たいてい治ってしまいました。
また、子供のころ、御奉仕の方たちとよく喧嘩などいたしますと、明主様のところへ言いつけにまいるのです。そういたしますと、その時は、『うん、そうかそうか、お父さんがあとで叱ってやる』なんておっしゃるのですけれど、さて相手の人を呼ばれますと、いっこうお叱りにならずに、『私におこられたと言っておくんだよ』と、内緒でおっしゃるだけらしいのです。
喧嘩両成敗と申しますけれど、明主様のは喧嘩両なぐさめとでも申しましょうか、親の情に流されるようなこともなく、きわめて公平に、平和的にご処置なされていたようでございます。
人を憎めないやさしい明主様の一面が、こういうところにも窺えまして、特別に子煩悩というのではございませんでしたが、何かひとつおっしゃることの中にも、なんとも言えない思いやりとか、暖かい愛情が感ぜられまして、何かほのぼのとした思い出となって残っているのでございます。