私どもの寺(明主様菩提寺)は、昭和二十年三月二十日戦災で全焼しましたが、焼けてまもなくのことです。
荷物といえば将校行李ひとつで因っていた時、ご隠居さん(おばさま)が訪ねて来て下さったことがあります。
その時、私どもは家内の実家に身を寄せておりましたが、一代様(明主様)のご伝言として、『なんでも因っているものがあったら言って下さい』と温かい声をかけて下さったことは、ほんとうに感激いたしました。たしかお見舞金をちょうだいいたしました。
また、新円切替で預金が封鎖され、自由にならなかった時も、“困るだろう”と、やはり届けて下さいました。
その後、お寺を再建しましたが、この時も一代様のお力添えをいただき、本堂はじめ、庫裏など、ほとんど一代様おひとりの力で造っていただきました。
また、ご本尊をお納めするお厨子と須弥壇も、一代様に作っていただきましたが、これを作っていただいた記念として、岡田家の定紋である姫蔦を入れてございます。
一宗の開祖として、師表として高い所へ登られた一代様──普通なら歯牙にもかけないような私どもですのに、よく礼をつくされた点はお偉いと思います。
一代様は、何事も実におまめで、ご熱心でした。箱根、熱海のお山も案内していただきましたが、箱根あたりでは、大きな石を指揮されながら動かされるところを拝見しましたが、自信にみちみちておられ、どこか犯し難い威厳を、常におもちになっておられました。