昭和二十九年の春ごろだったと思います。碧雲荘から電話がありまして、『あす、なるべく早く来るように』とのことでした。 翌朝早く伺いますと、明主様は、いつもと違って、かたちを改められて、こうおっしゃいます。
『これは全部私が描いたものだ。だから世界にひとつしかない。そういうものを表装してもらうのだから、特に心をこめて一生懸命やってもらいたい。それで今度の仕事は、私の手許でやってくれ』
そのご用命をいただいたものは何かと言えば、明主様が昭和八、九年ごろにご揮毫になられた大幅の観音様をはじめ、御書体などを含めて約二十体の表装替えだったのですが、どんな大切なものでも、いままでは一時私の手許へお下げいただき、自宅で仕上げてお届けしておりました。
何しろそういう仕事をする時には、長さ九尺ぐらい、巾四尺五寸、厚味三寸ぐらいの台と、それにいろいろの道具が必要ですが、その設備がこちらにはありませんから、「それは出来ません」とお断わりしたのですが、『その設備を全部こちらへ移せば出来るだろう。家の者に手伝わせてもいいから、そうしてくれ』ということで、結局、箱根美術館の三階の一室を借りて仕事をすることになりました。御神体ものですから、『三階を使ってくれ』とおっしゃったのです。
それで、細かい点についてお伺いしましたところ、『全部まかせる』と言われ、ありがたいことですが、かえって私は緊張してしまいました。
そして、出来上がったものから、ひとつひとつお目にかけて行ったのですが、最後に二、三点むずかしい表装がありました。全部まかされておりましたものの、どうしても色どり、形、感じが私にはうまく行きませんので、明主様にご相談申し上げますと、『これは美人のようなものですよ』と、それだけおっしゃいました。
どうもその意味が私にはわかりません。といって、“どういうことですか”と伺うのも言葉を返すようで申し上げられないのです。
そこで二、三日一生懸命考えた末、こういう意味ではないかと気づきました。
それは、眼がいい、口がいい、鼻がいいという部分的美しさがあっても美人と言えない、あらゆる点で調和がとれていて初めて美人と言える、これと同じだ──という意味であることに気づいたのです。
なるほどそう言われてみますと、いつも表装が出来上がって、「いかがでしょうか」と何いますと、『ここが悪い、あそこが悪い』 とおっしゃるし、そうするとそこばかりに気をとられて修正します。そしてまたお目にかけると、今度は、『この寸法ではだめだ』と言われ、またまた寸法だけにとらわれてしまいます。そのように『そこ一点だけでなく、全体に調和のとれた良さでなくてはいけない。あらゆることがそうなのだ』ということを、明主様は美人を例にとって冗談まじりにおっしゃったのですが、いい勉強をさせていただきました。
明主様のご気性は、非常にサックリしています。仮に明主様が、『こうだよ』とおっしゃる。「そうですねえ」とこっちが煮え切らないような場合、明主様は、『いいよ。じゃやめとこう』と、こういうようなご気性なんです。実に簡単です。愚痴っぽいとか、そういうことがなくて実にサッパリしておられるんです。
ですから、明主様がいろいろお申しつけ下さることや、お話下さることもむだなことがないんです。こちらがそのつもりでお話したり、御用なりをお受けしませんと、ちょっとこんがらがってしまうんです。
ですから、私なんかの場合も、いろいろ御用の面で、あれはこうだよとおっしゃって、明主様のお言葉には繰返しがないんです。あまりくどいことや、うるさいことはおきらいでした。
明主様は、江戸前の粋な味わいのある方だと思います。箱根などで、ご自分で鋏を持って庭へ出て、浴衣だけで三尺をグルグル巻きにして、ご自分の目にとまったものをはさんでいられるところを拝見しますと、なんとも言えない風情があると感心したものです。
ある時、明主様は私に、『どうだ、私のいうことを最初から素直に聞けば、ちゃんと出来るんだ』とおっしゃいました。お笑いになりながらおっしゃるんです。
『どうもあんたは仕事がうまく出来るからいけない。植木でもなんでも仕事の出来る者は、自分の考えでやってしまう。それがいけないのだ』そしてさらに、『仕事が出来るという自信は持っていても、私の言う通りに素直にやらなければいけない。そうすれば立派なものが出来る』とおっしゃいました。