初めてお目にかかった時、明主様は、『あんたはどういう仕事をしているんですか』とおたずねになりました。
そこで、これこれですと申し上げると、『では実業家なんですね』とおっしゃいましたが、そういう明主様の、特に威厳をつくるのでもなく、きわめて自然で、下々にまで通じていられて、つい甘えて勝手なことが言いたくなるような温かいお人――そう思っています。
教義の内容によって云々というよりも、明主という教祖様に直接お目にかかるとその瞬間に受けるある力――それを強く感じます。
特殊な能力を備えて、これだけの大きなことをやっていらっしゃる方――そういうのではなく、気楽にもてなして下さったことが、印象に残ります。
岳父の徳川夢声が、「何万人に一人か、そういう能力をもっている人だねえ」とよく言っていました。
常人ではなく、物事を廻り通しないで直視される、洞察力、直感力が非常にすぐれていられる。
そうかといって、特殊の方という気でお会いすると、しかめつらしくなく、淡々として、世俗的な話も出て、ほんとうにさばけた方だと感心させられるのです。
ともあれ、よくしていただいたという印象が非常に強いんです。私だけではありません。ある芸能人が、「私もいろいろの場所へ行くが、明主様は、明るくて、妙なものがなんにもなくて、全くいいなあ……」って言ってました。
あれは咲見町の時分でした。いまの球世会館が出来る前で、土木工事をしていたころですが、明主様のお供して、私もその工事を見に行ったことがありました。
『ここにこれこれの建物が出来るんだ』と明主様は私におっしゃる。私は〝なるほどね″と思って、明主様の構想のすばらしさに感じ入ったわけですが、それよりも、明主様の自信に満ちた、そして一方、何か神秘的なものを発散させていられる、そのお姿に見とれていたものです。
夢声も同じ印象をもっていたと思いますが、この神秘的な何かを持っていられるお人というのが、ひと口で言える私の教祖観です。 その咲見町の演芸のあと、ラジオの〝二十の扉〟で有名になっていた柴田早苗さんも席にいて、明主様にお目にかかったことがありました。
その時、早苗さんは気分が悪くなって、困ったような顔をしていました。それをごらんになった明主様は、早苗さんに、『こっちへいらっしゃい。治してあげる』と言われ、ご自分で浄霊をなさいました。早苗さんの気分の悪いのはすぐ治りました。
私は、その始終を見ていたのですが、その時も神秘的な何かを持っていられる明主様を強く感じました。
とにかく、明主様の洞察力(どうさつりょく)のすぐれていらっしゃること、とても常人ではありません。相手の心の奥をすぐ見抜いてしまわれるのです。無邪気(むじゃき)に、愉快気(ゆかいげ)に、気楽にお話しているあいだも、明主様は、ちゃんと相手の心の深層(しんそう)を承知していられるんだな――ということが、私には強く感じられました。ともあれ、私も職業上、いろいろの人に会って釆ましたが、明主様は、そういう人――普通人と会った時とは違う別のものを持っていらしたと思うのです。
奉納演芸でここへ来る芸能人は、普通の所より大事に扱っていただけて、それをみんなありがたく思っています。
明主様は私どもを、いわゆる〝芸人だから〟というお気持で扱うようなことなく、そういうご態度は示されませんでした。
芸に対する理解が深く、そうして、やさしく取扱っていただけるのですから、一度ここへ出演した連中が、ぜひ、また何いたいという気持になるのも当然です。
たとえば、私どもが水晶殿で休ませていただいている、そういう時でも、奉仕の娘さんがよく行届いていて、靴が汚れていれば、帰りまでに掃除をしておいてくれる。全く気持がいいです。だから他の所で、粗末に扱われてる芸人が、文字通り天国へ来たという感じを持つんです。秋に来た人が、自分から希望して、また春に来る。そして明主様の方でも、一度伺ってお気に入られると、何回もお呼び出しがあって、とても嬉しいものでした。
明主様は、上手(じょうず)でないもの、よくないものはピンとおわかりだったが、非常に寛大な扱いをして下さいました。賞めることはなさいましたが、わるい点は、わかっていても黙っていらっしゃいました。
明主様の芸能に対するお目は、ただ長いあいだ、それを観て来たから自然に出来上がったというものではなく、直感の力――霊力というか、そういうものが備わっていて、ほんとうのものの奥所を洞察なさる。そういう力をもっていらしたんです。ですから、ああでもない、こうでもないと、ひねくりまわして作り上げた批評しか出来ない人には、明主様の目や耳はさぞ怖かっただろうと思います。いきなりものの真実に触れる――そういう力は、常人には持てない力ですから……。
夢声の友人が、明主様についてこういうことを言っています。「芸能全般に亘って驚くほど深い知識をもっている人だが、ただ単に知識があるというだけではなく、心から芸能の好きな、言わばファンでした」と。
ですから、演芸に出る方から言うと、恐い方とも言えます。みんな明主様の前だと、特に気をつかい、緊張したものです。
明主様がお亡くなりになって十年近い今日まで、そういう流れ――救世教の奉納演芸は注意してやらなければならないという緊張感が、換言すれば、そういう流れ、ムードが続いているんです。特別の心理的緊張です。それだけ、明主様の目や耳は恐かったということなんです。
浪曲の鹿島秀月は、ずいぶん目をかけていただきました。
明主様が毛筆でお書きになった――大きな字でした――テーブルかけをいただいたこともあります。秀月は明主様から特にかわいがられた芸能人のひとりです。それに、ただ目をかけて下さったというだけでなく、『そこは声が高すぎる』とか、そういう点までご注意を受けて、秀月もさぞ本望でしたでしょう。
ですから、私どもの芸能会社としても、明主様は、油断のできない方でした。いいかげんなものは持って行か れないのです。出しものひとつにも、ずいぶん神経を使わなければならないんです。
さきほど、明主様の批評について申しましたが、演芸のあと、直接にどうこうと批判されるわけではありません。ご会食の際のお話などからの印象で、「ああそうだったか」と思うだけです。露骨に、あれはいい、あそこはいけないというようなご批判はなさいませんでした。
とにかく、明主様のお言葉で『こういうものを入れろ』と伺えば、私どもは無理しても、他の所を犠牲にしても、ご期待に沿うようにつとめたものです。芸能人に対してご理解が深く、やさしいお方でしたもの……。
ご気性は派手ではなかったでしょうか。たと、毎一旦気に入れば、どこまでも援助するといったご気性が窺われました。〝もう、きみの時代じゃないよ〟などとはおっしゃらず、一度ひいきになさったら、トコトンまでひいきにするといった方でした。お心が温かいんです。