自信があればたずねる必要はない

 救世会館の設計構想は、もちろん明主様がお立てになりましたが、何度も図面を引き直して、十数回の打合わせをし、“これでいいだろう”ということで始められたものでした。

 私が救世会館の図面をお届けすると、明主様はとてもお喜びになり、その時碧雲荘の応接間には、大勢の人が来ていましたが、その人たちをあとまわしにして会って下さいました。 柱の太さなども大工に板でその通り作らせて、『これくらいの大きさか、これくらいの大きさか』と私に念を押されます。明主様は寸法の観念が非常に鋭敏で、私どもが物差で計るよりも正確なのには驚きます。柱の高さなど、わずかでも違うとすぐ見破られるのです。

 そして、明主様は、こまかいことはあまり指図されませんで、一旦まかされた以上は何もおっしゃいませんでした。普通の人は、途中で、“ああだ、こうだ”と言うものですが……。

 その代わり、ご注文のある時に、簡単に、「はあ、かしこまりました」と申し上げると失敗するのです。

 いくら怒られてもいいから、納得のいくまでおききすることです。たとえば、高さなどが記されてある場合は、実際に縄を這って見ていただくわけです。

 明主様はよく、『わたしの言う通りにやれ。言う通りにやればいい』とおっしゃいましたが、それでおもしろい話があります。 出来上がった時、「これでいかがでしょうか」とおききしたらもうだめなのです。樹など植え終わって「植えましたが、いかがでしょうか」と申し上げたらだめなのです。『直せ』とおっしゃるのです。

 こういうことを言うのは、こちらに自信がない証拠で、明主様のお考え通りやっていないということです。自信があれば「はい、出来ました」でいいわけです。それを、「いかがでしょうか」と言わずにはいられないのは、自信がないからです。明主様のお考え通りやっていないからです。

 私もそれがわかってからは、もうお聞きしませんでした。言われた通りにやっていれば、聞く必要がないわけです。

 出来上がって、ご報告だけをすると、明主様はただひとこと、『うん』とだけおっしゃってお帰りになるのです。それでO・Kなのです。もし悪ければ、『直せ』とおっしゃいますから──。