人生窮極の目的は、無限絶対、無始無終の実在神にめぐり合い、永遠不滅の生命と信仰の歓喜<かんき>をたまわることであって、またそれは、錆び腐<さくさ>る宝とは雲泥の相違<うんでいそうい>ある心の宝を身につけることであります。もちろん、名位寿福<めいいじゅふく>も人生の宝であって、人間の本能<ほんのう>として、だれしも欲<ほっ>するところで、神さまもこれを正しい欲求として、認めておられるのであります。ところが人間の欲望にはかぎりがなく、必要以上にこれを追い求める結果、他と衝突し、闘争<とうそう>し、たがいに修羅の炎<しゅらほのお>をもやしておるというのが現状であります。信仰はこれらの人びとの欲望を、正しく導いて分を守らせ、各自の特色ある真価<しんか>を発揮<はっき>させ、人生の本義をさとらせて、おのおのの使命を完了<かんりょう>するよう教え導くものであります。
「栄光 三九四号」