それから御願いする場合に、よく「光明如来様」と「明主様」と両方に御願いしますが、あれは「明主様」だけで良いのです。というのは、私が光明如来様としてのその働きをするのですから、元は私の方だから、元だけに御願いすれば、それで良いのです。
それから、私は今まで、あんまりはっきり言ってなかったので、段々時節に応じて色んな事をはっきりさせて行きますが、こういう事も知って置かなければならない。
今私かやっている仕事は、伊邪諾尊(いざなぎのみこと)の仕事なのです。
それで古事記にある″天の御柱を両方の神様が廻り合った″という事がありますが、最初伊邪冊尊(いざなみのみこと)すなわち妻神様の方が右廻りをした。そうしたところが、世の中がうまく行かなかったので、要するに失敗したのです。そこで伊邪諾尊が「そうらみろ、オレが最初右廻りはいかんと言ったのに、お前が右廻りをしたからそうなったのだ。今度はオレが左廻りをしてやろう」というので、天下が治まったということがあります。というのは、右廻りというのは右進左退で体主霊従です。
それを伊邪諾尊様が左廻りにすると、天下が治まったというのです。本当のやり方をしたのです。丁度今の医学は右進左退ですから体主霊従です。右廻り医学です。
今度は浄霊という″霊″を主にするというのは左廻りです。それで私かやっている仕事は、伊邪諾尊の仕事です。
この間多賀さんの奥さんに、天照大御神様が憑って、私の事を″主神様″と言ってます。良い事があって御祝いに来たのです。「主神様に御祝い願いたい」と言って来たのです。最後に「主神様に御守護を御願いしたい」と言うのです。これは本当に憑ったのです。
そうすると天照大御神というと、世の中では大変な神様の様に思ってますが、しかし天照大御神は、伊邪諾尊、伊邪冊尊の子供になるのです。これは神代史にもあります。
そこで天照大御神は伊邪諾尊の娘さんになる。ですから分かりやすく言えば、私の子になるわけです。そこで天照大御神は、本当に人を救うという力はないのです。
それから月読尊も御祝いに出ました。いずれ「地上天国」に出しますが、まだちょっと早いので、正月のに出そうと思ってます。それで、月の神様と、日の神様の両方でなければ救えないのです。そこで日と月が両方ピッタリして出るのが光なのです。
光というのは、日も月も両方共光はありますが、本当の光の力というものは両方がピッタリ合わなければ出ないのです。
ですから私から出る浄霊の光も、そういった日と月の両方の光なのです。そこで光明如来という名前も、″明″は日月ですから、日月の光という、これが本当の力になるわけです。