初めて明主様にお目にかかった時、とてもキサクなお方であられたのに、びっくりいたしました。
明主様はお偉い方だということは聞いておりましたが、お目にかかって、ちっとも飾り気のない、あるがままを言っていらっしゃる方で、初対面なのに、ずいぶん前からお友だちのようなおやさしい方でした。めずらしいお方でした。全然お話に嘘がないんです。
それから、物事がとてもお早いこと、これにはほんとうにびっくりいたしました。あんなにお早くなさる方というのは、私の知っているかぎりではありません。
たとえば、地所をお見つけになるんでも、そこへ会館をおこしらえになるんでも、その決心の早いことは、ただごとではありません。あれはちょっと出来ません。ただの人間には──。こういうところは、どうしても神様だと思います。私の生涯のうちに、このくらいお早い方はありません。美術品にしても、ご自分が趣味でお始めになったんですが、それが二年もたたないうちにあれだけ蒐まってしまったんだそうですから驚きます。これも、世の中をごらんになる目が、自然におありになったからでしょうが、ただのお方じゃないと私は思いました。
それから、明主様は、人にどんなことがあっても、いやな奴があっても、みんな善意に解していらっしゃいました。使うところによって役に立つこともあるだろうと……。
これも普通の人には出来ないことです。人間を善意に解するということは、なかなか難しいことで、これが物事をお早くお運びになられた原因じゃないでしょうか。
私どもにお話になるのでも、ご自分の偉いということは少しもおっしゃいませんでした。やっぱりご自分がお若い時からご苦労なさったからでしょう。
私が何度かお目にかかったある時、『吉住さんは飯はどのくらい食うのか』とおたずねになったことがあるんです。
その時分は戦争がすんで間のない、最も食糧事情のよくない時だったんですが、何しろ家内とふたりきりでしたから、明主様も、『たんと食うわけじゃないだろう。じや、米だけは送って上げますよ』とおっしゃって下さいました。 そして、それからずっと送って下さいました。嘘のないということには、実に恐れ入っています。いいかげんなことを言って、お世辞にいいことを言って、それっきりにする人が多いですが、明主様にはそういうことがちっともないんです。ちょっとまねの出来ないことです。
明主様は一日が時計で、全部仕事が決まってみえましたから、こちらも規則通りに動いてさえおれば、ちっともおこごとがないわけです。ご面接の場合でも約束のお時間に一分遅れても、つぎのプランに支障を来たしますから、明主様はお会いなさいませんでした。私の商売の長唄で言えば、「間」がちゃんといっていれば間違いないんです。明主様のは間がちゃんとしているんです。朝起きてから夜寝るまでの間がトントンといっているんで
す。そして、あんなに働く方はないです。働き通しなんですから……。
また映画もよく見せていただきました。明主様の映画をごらんになるのを拝見しておりますと、ただおもしろくて見ていらしたわけではないんです。何か真髄をつかまえていらした。ですから私もお相手はしましたが、明主様のご様子ばかり拝見しておりました。少しも油断がないんです。若い方は大いにまねしなくてはいけません。
それから、私いつも不思議に思ってましたのは、明主様のお体には、いつもおひかりというものが満ち満ちていらしたことです。
お車にご一緒に乗せていただく時なんか、私が真中に乗せていただくと、明主様は左にいらして、おばさまは右にお乗りになるんです。
そうすると、明主様側はポッポッと暖かいんですが、おばさま側は冷めたいんです。半身暖かくなるんです。
私より小さい方なのに、その活気というものも、ただの方ではありませんでした。
明主様はほんとうに親切な方でした。もっとも人の体を治すということは、頼まれ仕事と違いますから親切でなければ出来ませんが、たとえば、地方公演などに行きます時、その旨ご報告しますと、『よし、それじゃ浄霊をやってやろう』と、気軽にして下さいました。
とにかく、宗教家の臭みというものが全然なく、どちらかと言えば、昔の職人肌で、嫌味がなく、思ったことはポンポン言ってしまって、お上手は使わず、純江戸っ子です。
そこへもって来て、二代様もやっばり江戸っ子気質で、明主様と意気が合って、実にいいご夫婦でした。意気が合うということはむずかしいことで、私は芸のことで考えますが、一軒の家でも三味線をひくのが女房で、唄う方は亭主です。ですから、夫婦というものは、あまりくっつきすぎてもいけないんです。つかずはなれずで意気が合っていかなければいい仕事は出来ません。一緒にいる人に、変な反対があったら、何も出来ません。美術品蒐集のことでも、もし反対があったら出来ません。明主様もお偉いけれど、二代様もおえらい方です。普通の女の人ではありません。