『行って来い』とお小遣いを

 明主様が映画をごらんになられ始めたのは、たしか、まだ東京玉川の宝山荘で、当局の治療禁止の弾圧手段に隠忍自重して、待機の月日をお過しになっておられた昭和十三年秋ごろだったと思います。(ご商売をしておられたころはよくごらんになったが、信仰生活にはいられてからの、最もご艱難の十年間は、映画には全く絶縁せられていました)

 ある日、渋谷松竹館で封切られた衣笠貞之助氏演出の「大阪夏の陣」をごらんになってお帰りになった時、『実にすばらしい出来栄えだ。日本映画の急速の進歩には非常に驚いた。おまえたちも行ってみて来い』とのありがたいお言葉は、いまでも耳に残っています。そして、お小遣いまでいただいて出かけましたが、その映画の数々のカットは、現在もなおまざまざと印象深く刻まれています。

 その後、ほどなく治療の禁も解け、ふたたび浄霊と教修の御神業をお創めになるようになって、月に三回、五の日の定休日が設けられました。明主様はその定休日には、必ず二代様と市内へお買物かたがた、たいてい二館ぐらい映画をごらんになり、レストランでお夕食をおすましになってお帰りになるのが常でした。また、その他の日でも、映画だけにお出かけになることもありました。

 そのころ、よく、『どこの映画館へ行ってみても、私ぐらいの年輩の観客はひとりもいないね』とおっしゃっていましたが、全くそれは珍しいことでありましたし、映画芸術に対する並々ならぬご情熱を感じたものです。