昭和二十四年ごろでしょうか、箱根のお茶室が出来上がった翌年、たまたま白牡丹(松田幸次郎)さんと私が箱根へ行ってお庭を拝見している時に、そこへ教祖が、例のかまわないなりでノコノコとやって来られたわけです。
それで、松田さんが私を教祖に紹介してくれて、『それではまあ、お茶でものみましょう』というわけで、出来上がったばかりの茶室へ案内されました。
三、四十分もご一緒したでしょうか。教祖の物の見方がいいのに感心しました。いいと言ってはおかしいかもしれませんが、われわれは、こういう茶室研究の道にもう三、四十年からはいっていますから、自然に磨かれもし、良いとこ悪いとこの識別もつき、やはり自分の性向によって、あれは良い、これは悪いということになるのですが、しかし教祖の物に触れられるその触れ方が、非常に、失礼ながら立派なのです。
昔のお仕事が美術に関連していたそうですから、それもあるのでしょうが、しかし美術界にはいっていても、なかなかそう筋のよい人ばかりはいません。変なものを好む人もありますが、教祖の触れ方というのは、一級品にずっと触れていくんです。この点はやはり偉いと思います。ご自身の心境が鏡みたいなものだから、自然に映って来るものが、良いものと悪いものとが、そのまま映るというんじゃないでしょうか。
だから、今日の熱海と箱根にある品物は、おそらく、教祖がみんな眼をお通しになったものばかりだと思うのです。あれだけのものを他の美術館で集めようとしても、集まるものじゃありません。非常に時機もよかったんだが、やはり教祖のお人柄がよかったからだと思います。お人柄がよかったから、あれだけのものが集まったんでしょう。
茶人とか禅僧とかいう人は、文章では書き残していないんです。心から心に伝わると申しますが、文献は何もないんです。品物だけが残っているわけです。そうすると、その品物を見て、ああ、利休って人はこういうとこに美しさを見てるんだとか、渋さを見てるんだとか、われわれがその物を見る時にわかるわけです。
そうして、教祖が持っていらした茶器をわれわれが拝見して、「ははあ、教祖もやっぱりそういうところを見ておられるんだなあ」という気がするのです。そうすると、生きておる人間のほかに、そこに、その茶器をつくった人が加わってくるんです。
そういうことに古美術品の鑑賞の意義があるんです。それが日本人の物の観賞の仕方だと思います。だから、物にプラスの人格というものがそこにはいって来る。ですから、おそらく教祖の人格というのは、昔の一流の茶人に匹敵するだけの人格を、もっておられたと見られるわけです。
その点は、自然にああいう方が出来たと思うのです。めずらしい方だと思います。
その教祖に初めてお会いした時の印象をと言えば、丸裸で、率直で、そしてそのままのものが、いろいろのところに表われているんです。飾ったり、てらったりということをされず、そのままのものがお茶主にも出ていますし、お庭にも出ていますし、美術館の品物にも出ています。つまり教祖は、自分を説明するものを、今日そういうもので残しておられるという気がします。
私は思うのですが、古い宗教に携わっておる方々は、制約があって縛られているんです。だから、何かしらないけれどわれわれが見て殻にはいっている。
ところが教祖はその点自由です。だから、初めてお目にかかった時、着物を着て、グルグルっと巻き帯をされてやって来られたあの形に、非常にとっつきやすいものを感じました。宗教というものは、ああいうものだと思います。あたりまえで、接しやすく、そして自由に生きている――それをジカに感じました。