よく有名な歌人は、月に二、三首しか作らぬということを聞きますが、明主様は、御讃歌でも道歌でも、叙情、叙景、相聞歌とどんな歌でも、あれほどすぐれ御歌にかかわらず、決してご苦作なさることはなく、お楽しみになられるごとくご口述になります。そして、『詠もうと思えば、いくらでも詠めるよ』と仰せられて、歌数も、ご作歌の遅速も全く自由無碍であられるのには驚きます。
たしか法難事件(昭和二十五年五月)の数ヵ月前、『大浄化』と題して、四十六首の御歌を、わずか一時間足らずでお作りになりましたが、いつもながらのことですが、それ超人的神技には驚くの外ありません。
私はお側でご口述を筆記させていただきましたが、濤々として、後から後から尽きぬ御歌は、あたかも蚕の口から糸が出るようで、一首が一分三秒に当たるわけになります。