私は明主様が清水の警察署に留置されていらした時、差入れ屋のおかみとして、三度々々の食事をお持ちして行ってお給仕していましたが、ある日こんなことを明主様に申し上げたことがあります。「先生、私、このさき家の方も買って増やしておきたいと思いますが、先生のお考えをおっしゃっていただきたいのですが……」
すると明主様は、『いや、物事はよく落ちついて考えた方がいいよ。これだけあるからやろうと思わないで、これだけあったらこれだけのことが出来るという、先の先のことを考えておいて、そして仕事にかかって行けば、何事もうまくゆく。無理をしちゃだめですよ』とやさしく教えて下さいました。要は焦りと無理はよくないということなのでした。
私は頭が少しボケたのか、醤油なんかときどき忘れるのです。すると明主様が、『持って来てくれ』とおっしゃる。急いで家へ戻って持って行きますと、そのあいだ明主様は、箸もとらずにじっとお待ちになっていらっしゃいます。偉い方だと思いました。
言い忘れましたが、明主様はお食事の時だけ独房を離れて、普通の署員室で召上がるようになっていました
が、ある日、ご飯を持って行きますと、そのお部屋はカラッポで、二階の廊下でガタガタという下駄の音がするんです。行ってみますと、明主様が、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、手を振って歩きまわっていられます。
「どうしたんですか」と伺うと、『うん、運動不足だから散歩してるんだ。外へ出られないから、ここがちょうどいい』と言われます。私は胸にジーンと来るものを感じました。
ある朝、明主様は私にこうおっしゃるのです。『ここにはいっている望月というのが、もうじき出るから、そうしたら五千円やる約束をしたんだ。うちの者にそう言ってくれ。こいつは泥棒なんだが、朝、顔を洗っているところへやって来て、“先生カネ貸してくれ”というので、どうするのかときいてみたら、“ここを出たら心を入れかえて茶の行商をしようと考えているがモトデがないと言う。いくらあればいいかと言ったら、“五千円だ”と答えたから、よしと言っておいたんだ』──こういうことは、神様のようなお方でなければ出来やしません。
もうひとつ思い出したことがあります。
明主様は三日に一度ぐらいお召物を取り替えていらっしゃいましたが、その着替えをされるとき、いつも右手でおなかのところを押えていらっしゃるのです。
それで、ある時、私はそこへ触らせてもらいたいと思って、「先生、そのおなかのものはなんですか」と言って触ろうとしましたら、明主様は、『これはもったいなくて触らせられない』と笑っておっしゃいました。そのため触らせていただけなかったのですが、不思議に思ったことがあるのです。いまも不思議に思っていることのひとつです。
十八日間の拘留期間が終わって、明主様は警察を出られましたが、わざわざ私の家の前を通られました。私はそのお車の窓にしがみついて泣いてしまいました。
それから、ほどなくして、お使いの人がお見えになって、『ぜひ箱根へ遊びに来るように』との明主様のおことづてでした。それで、ふたりのお連れと一緒に箱根の別荘へ伺いました。
その時、明主様は、どうしても私とだけ話したいからとのことで、私ひとりでお会いしますと、『いつぞやは、いろいろお世話でした』と礼を述べられて、『ゆっくりと遊んでいきなさい』と食べきれないほどのご馳走を出して下さったり、お庭を見せて下さいました。
それから熱海の方のご案内をいただいて、その晩、「新道」という旅館に泊めていただき、翌日帰って来ましたが、これもおなつかしい思い出のひとつです。