ある日、明主様から伺ったお話ですが、──関東大震災のあった大正十二年の五月に、明主様は小間物問屋岡田商店社長であられ、お店は槇町に、お屋敷は京橋の大鋸町にありましたが、そのお屋敷を、突然三万六千五百円でご売却 (当時時価五万円以上)、大森八景園のお屋敷をお買いになられて、パッとご移転なさいました。
この突然の出来事に驚かれたご親戚のみなさまは、「なぜそんな安値で売ってしまったのか」と盛んに難詰されたのですが、明主様は平然と、『そんなことをいうけれど、いまにみんなここへ来なきゃならんのですぜ』とおっしゃられたので、ご親戚のみなさまは、ただあきれられて、言うべき言葉もなく引きさがられました。
ところが、それからまもなく、あの関東大震災で、東京は一日にして焼土と化し、焼死、圧死者その数を知らずという大非惨事が突発いたしました。
反対された親戚のみなさまはいかがかと言えば、みな焼け出されてしまって、シャツ一枚で焼け残りの品物を背負って、大森のお屋敷へ来られたのです。そして、「とうとうおまえの言う通りになってしまった」と頭を下げられたそうです。