生きかえる牡丹

 たしか昭和十五年六月の御面会日だったと記憶していますし そのころ、明主様は玉川宝山荘にお住いになっておられましたが、その日、私は御面会をいただくべく朝早くお屋敷へ伺いました。時間が早くて、他の人はだれも来ておりませんでしたが、私は所定の部屋に通されて、時間が来るのを待っておりました。

 すると突然、明主様が御神前のお花を活けられるためにお出ましになられました。私はびっくりしてご挨拶を申し上げ、そのままお活けになるご様子を拝見しておりました。

 すぐ、側近の女の人が桶にはいった二、三輪の白い牡丹を持って来て用意しました。この牡丹はお屋敷のお庭に咲いていたものだそうですが、切ってから大分時間が経っているのか花に勢いがなく、ダラリとしておりました。私はどうしてこんな勢いのない花を活けられるのだろうと怪訝に思っておりました。

 明主様は、桶から一本々々取り出され、例の調子で無造作に活けていかれました。活け終わられますと片手をついて、上体を反らしながら眺めておられました。私も一緒になって拝見しておりましたが、その時、不思議なことに、ダラリと首を垂れていた花弁が、徐々に起き上がってゆくのがハッキリと判りました。その間一分くらい続いたでしょうか。私はあまりの不思議さに、思わず感きわまって頭を下げてしまいました。そして、あれほど萎れて勢いのなかった花が、シャンとなって実に生々とした花に変わりました。

 この光景をごらんになっていた明主様は、私の方を見てニッコリと微笑まれました。その時はひと言も発せられませんでしたが、いかにも“どんなもんだ”というご自信のほどが、そのご表情から察せられました。

 当時の私は、入信してまだ日も浅く、明主様の偉大さは、ある程度先輩の先生から伺っておりましたが、目前にそれを見せつけられ、しみじみと判らせていただきました。