私は昭和二十五年ごろから、箱根奉仕隊の責任者として御奉仕しましたが、当時明主様は私ども奉仕者慰安のため、ひと晩置きに日光殿で映画を上映して下さいました。そして明主様も、二代様、おばさまとご一緒にごらんになりました。映画は夜七時から始まりますが、奉仕者が揃いますと私はお迎えに上がります。すると、明主様がお出ましになられるのですが、ある晩お迎えする奉仕者が非常に少なかったことがありました。明主様は『少ないが……』とおたずねになりました。「一部の奉仕者がまだ急ぎの作業をやっておりますので」と申し上げますと、『それじゃ、もう少し待とう。私はひとまわり散歩してくるから』とおっしゃって、ひとまずお帰りになったことがありました。
それからは、奉仕者が揃わない時は、いつも明主様の方でお待ち下さいました。時計のようにきっちり決まっているご日課の中で、わざわざ奉仕者のために時間をお割き下さいました。