報告も神業のうち

 これは、ある日、明主様がご揮毫をお始めになるときのことです。

 ご揮毫の場合は、その日お願いする「おひかり」「御神体」の数を、お書きいただく直前に必ずご報告申し上げ、お願いさせていただくことになっていました。

 ご報告を申し上げる人は、大体決まっていたのですが、ちょうどその日は、明主様がお部屋におはいりになられ、ご挨拶をすませた時、突然ラジオに雑音がはいって来たので、ご報告する人が調節に行き、ご報告があと廻しになってしまいました。

 明主様は、すぐ墨の鉢に筆を入れられ、お書き始めになる態勢をおとりになりましたが、報告がないので、そのまましばらくお待ちになっておられました。

 それでもご報告しないものですから、『どうしたんだ。私は何を書くんだ』とご注意になりました。

 その人は、「はい、申しわけございません。ラジオの雑音がとれませんので……」、と言い終わらぬうちに、『“私は何を書くのか”といっているんだ。肝心なことをほったらかして、私を待たせるとは何事か!』
『そんな了見では私の仕事を手伝ってもらうわけにはいかん。おまえはあすからこの仕事は一切やっちゃならん』と厳しくお叱りになられました。

 もちろん、お側にいた私どもにも、『おまえたち、黙って見ているとは、どういうわけだ』と厳しく追及せられました。もうひとりの人は、お願いするのが何か知らなかったものですから、どうにかお許しいただきました。

 私の場合は、知っていたのですが──御奉仕に上がってまだまもないということで、恐らくお慈悲をかけて下さったのだと思います──あまり厳しく追及されませんでした。

 それから約二十分間、諄々とお諭しいただきましたが、その中で、『おまえたちは、だれとでも話せるようにならなければいかん。それでなくちゃ近代人とはいえない。結局、だれとでも話せない人間は活動がないし、発展もしない』、また『救世教信者は、何についても一応常識として知っていて、自分の意見をもっていなくちゃいかん』、『報告を怠ることは、御用をおろそかにすることだ』と御教えいただきました。

 それで、その日はついにお仕事は中止、明主様はお帰りになってしまわれ、ご報告が遅れ、ご注意いただいた人は、神様の御用を妨げたということで、とうとうお許しいただけず、それから約五十日間、御書体に関する、一切の御用に従事することが出来ませんでした。