明主さまは、信仰の主要目的<しゅようもくてき>は魂を磨き、心を清めることであって、その方法には苦しみによる修行、善徳<しゅぎょうぜんとく>を積むこと、美<ぴ>に触<ふ>れて魂を向上させるなどいろいろあるが、本教は天国的宗教であるから、できるだけ楽に信仰が徹底<てってい>するよう、窮屈<きゅうくつ>な修行は課<か>していないと教えられておられます。じじつ本教ぐらい自由かつ楽な信仰はないと思います。これは日々にみなさまも体験しておられるところでありましょう。しかし、厳しい修行がないといっても、そこに自ら行<ぎょう>じていかなければならないひとつの働きが、課されてあることは申すまでもありません。その働き、それはご用をすることであります。そして、神のご用をすることによって、無限の光と力が与えられ、そこからまた信仰に対する確信も深まり、より高く、より広い境地<きょうち>へと進ませていただけるのであります。この力→信→ご用、逆にまた、ご用→信→力の循環<じゅんかん>によって、本教信者の信仰体制<しんこうたいせい>(かまえ)はできあがっていきます。そこで、もしもご用を怠<おこた>るならば、当然お力もいただけなければ、信仰も向上できないことになりましょう。
「地上天国 一四六号」