「″キリストも 釈迦もメシヤも観音も 人の姿の神にぞありける″
との御歌を拝しますが、神様が人間の御姿に御生れになる場合、神様はその御方の本守護神になられるのでしょうか。それともその御方に御懸りになって宿られるのでしょうか」
これは本守護神になってるんですよ。だから「生き神」ですね。そう思えばいい。神様が懸る場合もありますが、こういうのは永続性がなくて、必要な事が済むと御帰りになってしまうんです。だから本当に神様が御生れになったのとは譯<わけ>が違うんです。
「御光話録10号」 昭和18年05月13日