瀕死の病人が一回の浄霊で

 昭和十九年五月、明主様が東京から箱根へお移りになってまもなくのことでありました。静岡県吉原町で布教していた五十才ぐらいの某婦人、大浄化で生命も危ぶまれた時、正に必死の覚悟で明主様におすがりし、空襲の中をただひとり、気息奄々、瀕死の状態で、吉原町から強羅まで来ました。そのころはケーブルもなかったので、強羅駅から真っ暗な急な坂を、何時間もかかって神山荘玄関まで這上がって来て倒れ、ついに冷たくなったのです。私は幽鬼かと思ってゾッとしたほどで、どうして来られたのか不思議でした。

 その死人同様の状態であった人が、明主様の一回のご浄霊で甦り、何杯かのお茶づけを食べたのには、さすがの私も、しばしぼう然としました。その人はいまも元気で、多数の人を救いつつありますが、このように、明主様はどんなお力でもお持ちになっておられ、その人の心次第で、どんなお蔭でも下さるのです。またこの人のような、神への一途の気持こそ、大慈の神様はお好みになるようです。