火の海になる

 私は昭和十一年、明主様のお言葉によって、盛岡へ布教に出ましたが、ある事情から今度は釜石へ引越しました。釜石では大勢の患者が来て、一日五十人から七十人の治療をいたしました。

 ところが、昭和十四年の暮になると、明主様は、『早く釜石を出よ。いまに火の海になるぞ。早く石巻か一の関へ行け』と言われるんです。

 私は、せっかく布教も軌道に乗って順調に発展しているので、釜石を動きたくなかったのですが、明主様のおっしゃる通りに、一の関へ移りました。

 ところが、それから二年ほどして太平洋戦争が始まり、釜石は艦砲射撃に会い、二回目には全市が壊滅したんです。釜石にいたら、私たちはどうなっていたか判りません。

 この時も、私は思いました。「二年も前に、しかもまだ戦争も始まっていないのに戦争を予言され、やがて釜石が火の海になることを知っていらした明主様。この明主様を、神様と思うなと言われても、思わずにいられようか」と。