火の玉

 岡田さんは酒脱で、正直で、文化的事業に対して相当に大きな理想をもっている人でした。

 気取らず、率直でした。しかし親分的なもの――これは清濁合わせ呑むといったものを指す場合が多いですが、こういうタイプには、眺都が多いんです――はあまりもっていず、潔癖で小心でした。

 聡明で、怜倒だから、西郷南洲のような茫洋としたものは感じさせません。しかし、茫洋とした人物の方が大きいというような見方は間違っています。岡田さんは、カミソリのような人でした。

 その岡田さんはよく、『自分は火の玉のようなものを抱いている。自分のからだ全体が燃えている』と言われました。

 それがほんとうかどうかは、私にはわかりません。結局、それを信ずるかどうかという問題になるでしょうが、火の玉とは、平たく言えば、神様が宿っているということです。

 理屈的に言えば、霊の力が内部から発散して来るのだと言えましょう。もし、霊力という言葉がいやなら、エネルギーと言ってもよいと思います。