(前略)
一体私という人間は、何の理由によってこの世の中に生まれたかであるが、私の前半生は平凡なものであった。しかし一度宗教人となるや、総てが一変してしまったのである。というのは何物か分からないが、私を狙って、何だか目には見えないが玉のようなものを投げかけた。と思うや、その玉が私の腹の真中へ鎮座してしまったのである。それが今から約三十年位前であった。ところが不思議なるかな、その玉に紐が付いているらしく、それを誰かが自由自在に引張ったり。緩めたりしているのだ。と同時に私の自由は取上げられてしまったのである。自分が思うように何かをしようとすると、紐の奴引張っていてそうはさせない。そうかと思うと思いもよらない方へ紐が引張ると見えて、その方向へ運ばせられる。実に不思議だ。丁度傀儡師<かいらいし>に操られている私は人形でしかない。
そればかりではない。その頃から私は今まで知らなかった色々な事が分るのだ。初めはそうでもなかったが、時の進むに従って、それが益々著しくなるのだ。以前私は学んで知るを人智といい、学ばずして知るを神智という事を聞いた事があるが、そうだこれだなと思った。確かに神智である。何かに打つかるや、その理由も結果もすぐ分る。考える暇もない程だ。といっても必要な事のみに限るのだから妙だ。信者から色々な質間を受けるが、咄嗟に囗をついて出てくる。そういう時は自分の言葉で自分が教えられるのだから面白い。
特に一番肝腎である人間の健康についての事柄は、全般に渉って徹底的に分ってしまった。これは私の医学に関しての解説を読んだ人なら直に頷くであろう。ところがそればかりではない、私か現代文明のあらゆる面を見る時、医学などは子供騙し位にしか思えない。政治でも、経済でも、教育でも、まず小学程度の腕白小僧がやっている位である。只いくらかましと思うのは、芸術方面だけである。こんな事を言うと大変な自惚れと思うかも知れないが、神にある私は聊か<いささか>も嘘をいうことは出来ないから、読者は本当と思って貰いたい。しかも最も重要なる事は、私は見えざる力を行使する法を授けられたので、何千何万の病人をも、大勢の信者を機関として全治させている。これはみんなの知っている通りであるが、その治り方の素晴らしい事は、医学の一に対して、私の方は百に当たるといっても過言ではない。
(後略)