真剣味が足りないということで、こういうことがありました。
これは昭和二十三年ごろ、清水町時代だったと思いますが、何かの用で上がらしていただいた時、いろいろ御教えをいただいたあとで、明主様は、『あんた信仰雑話を読んでいるか』とおっしゃったのです。そこで、「はい、読ませていただいております」と申し上げました。
すると明主様は、『おかしいな、読んでないんだろう』とおっしゃるのです。一生懸命読ませていただいておりますから、変だなと思いまして、「何回も読ませていただいております」と申し上げると、『どこで読んでいるか』とおっしゃいました。どこで読んでいるかとおたずねになっても、こちらは目で読んでいるわけですから、とっさのことで、ちょっと見当がつきませんでした。仕方がないから、「目読させていただいております」とお答えすると、『じゃ、これ(目)で読んでいるんだな』、「さようでございます」『そりゃだめだ。あんたは読んでいる、読んでいるというけれど、ほんとうに読んでいるところが形に出ていない。形に現われてなければ、読んでないのと同じようなものだ。だから頭で読んじゃだめだよ。肚でむさぼるように読め』とおっしゃいました。