判でおしたような正確さ

 明主様は、たとえ一分一秒たりとも、お決めになられたお時間は疎かにされませんでした。

 たとえば来訪者に対し、午後一時なら一時と、ご面接時間をお決めになられますと、一時キッカリにお出ましになられ、まるで判でおしたようなご正確さでした。そうして、何かの都合で来訪者がお約束時間より遅れたりいたしますと、それが、わずか五分か十分でありましても、決してその日はお会いなさらず、日を改めてお時間をご指定になられました。

 そんな際には、『どうも日本人は時間の観念がうとくて困る。私は閑人と違うから、たとえ一分の時間でも惜しい。日本人に嘘つきが多いのも、こういう些細なことが原因しているのだ』と戒めのお言葉をいただきました。