昭和二十五年法難の折、私はしばらく碧雲荘の玄関番をしたことがありました。言ってみれば、碧雲荘の若い執事です。
その時、私は最初に明主様に申し上げたのです。「私はおそばでの御奉仕の経験がございません。これからどういう心構えでやったらよろしいでしょうか」
すると明主様は、大きな声でお笑いになって、『心構えなんて、私のところにはない。あれは地獄に必要なんだ。ここは天国なんだから、そんなものはいらないよ』とおっしゃいます。私はハッと思いました。暗い事件の渦巻く最中にあられながら、いささかもご日常とお変わりなく、ここは天国だから、と仰せられたお言葉で、私の歪んだ緊張感はたちまちホグされ、雲上に軽々と、抱き上げられた思いがしました。
それで、やっとの思いで、「御用をさせていただきたいのと、修業したい気持でおりますが……」と私は申しました。
『そういうことがいかん。その時その時に必要なことに徹してゆけばいいのだ。アレコレと考えることがいけないのだ。私の側にいて、私の言う通りにやってくれればいい』と明主様は言われます。
「では、何も苦しむことはないように思えますが、それでよろしいのでしょうか」と私はさらにお伺いしました。
『そうだ。それを天国的修業というのだ』と明主様はおっしゃいました。