私は明主様に御面会の時には、和服に前かけをかけて伺うことにしていました。
このことは、はなはだ奇異な感じがするらしく、ある日、一信者から、「えらい方の前に出るのだからとて、かけている前かけをはずすというのならわかりますが、先生はどうしてわざわざ前かけをかけて、明主様の前にお出になるのですか」とたずねられました。
それで私は、「私は、みなさんの先生であるかもしれないが、明主様からみれば、ただの小僧か丁稚にすぎない。私はこの気持ちをいつも忘れないようにしています。前かけ姿で明主様の御前に出るのも、この気持ちのあらわれなのです」と答えました。
また、昭和十七年の夏、医薬問題から、私は一週間ほど留置されたことがあります。その間、ひどい拷問も受けました。その際、明主様は、『いくら渋井でも、拷問には勝てないだろう』とおっしゃったそうで、それを後日になって他の人から聞きました。しかし、私は歯を食いしばって耐え、明主様のメの字も口にしませんでした。明主様のためなら、たとえ殺されても、というのが私の本心でした。