私が明主様にお会いして、一番最初にピンと来ましたのは、そのお部屋の花です。
明主様は、お花をご自分で床に生けられました。私どもがお招きを受けて伺うと、いつもご自分で生けられたお花が床にありました。
その生けられたお花を見ると、何か違うのです。実に花のたたずまいが円満で、異常なものを感じさせられるのです。達人だと思います。
明主様は超越したお方ですから、何か、そういうものから出ているものを、感じさせられるのでしょうが、えらいものです。
えらいと言えば、いつか強羅で美術品を拝見して、お食事をご一緒にいただいた時、『夜、信者に映画を観せるけど、きみ、一緒に観ないか』と明主様が言われるので、私は、「結構でございますね」と申し上げますと、『ああそうか』ということで、ご一緒に日光殿の広間に行きまして、映画を観ました。
ところが、その映画は、宗教を悪く解剖したものなのです。しかも、救世教を諷刺しているような映画なんです。それを信者に見せるのですから私はびっくりしました。
けれど、明主様は、大きな口をあけて笑っていらっしゃるのです。『これはおもしろい。これはおもしろい』とおっしゃって……。 その大きさに私は非常にうたれました。普通だったら、人情の上から言っても、救世教を諷刺したような映画なら、信者に見せないと思うのですが、明主様は、『きみ、こんな観方もあるんだよ』と実に泰然としておられるのです。
それが誇張したものではなく、真情からのものなんです。それで私は〝大きいな〟と感心したのでした。