『原稿が余って困る』

 現在の栄光紙は、昭和二十四年三月、明主様のお言葉によって創刊されたものですが、明主様ご在世中は、ご自身が編集長であり、記者であり、また校正者として創刊以来編集して来られました。

 ですから、自らご執筆になられたものはもちろん、信者よりの投稿寄書、お蔭話に至るまで、お目通しになり、いちいちご指示をいただいていましたが、たしか三十号を迎えるころでした。

 当時本紙の編集を担当していたK氏(元読売シンガポール支局長)が、「明主様は実に精力的に本紙のために執筆され、われわれは毎号追っかけられるように編集しているが、私の経験や常識から言っても、そろそろ息切れするころだ。うまくいっても五十号どまりだろう」と洩らしたことがありました。 

そのことが明主様のお耳にはいったのでしょう。ある夜、『息切れどころか、原稿が余って困っているくらいだ』とおっしゃったことがあります。事実五十号どころか、ご昇天になるまで毎号欠かさず、機関紙『栄光』、『地上天国』に御論文をいただいておりました。