終戟直後のことですが、私が眼病をわずらっているのを心配してくれた三輪善兵衛さんが、「熱海に観音教というのがあって、岡田という人が教主だが、その人に会えば眼を治してくれる」と言うのです。
それで当時、小田原にいられた渋井総斎さんに連れられて、明主様にお目にかかりました。
明主様という方は、眼に実に力のある方だと思いました。それは、こちらにグイグイ迫って来る圧力なんです。圧力ーー全くそう申し上げるよりほか言いようがありません。
比較するのは失礼ですが、あの九代目団十郎が勧進帳の弁慶をやる時の眼ーーあの眼に似ていました。
偉人と言われる方の眼は、すべてひとつの力をもっていますが、明主様は、特にその圧力が鋭く強く感じられます。
偉い方、常人でない方、もう今後二度とは生まれて来ることのない偉人以上の方ーーいまもそう思っていますが、最初にお目にかかった時から、私はそういうものを明主様から受取りました。
けれども、そうは言っても、決して堅苦しく、いかにも教主だという態度ではなく、らいらくで親しみがありました。
その明主様に、長いあいだ、いつくしんでいただいたというのが、私の真実の心であり、お礼であり、よろこびであります。
私は自分で申すのもどうかと思いますが、信心は昔から好きで、いまでも演奏をして帰宅しますと、神様と亡き両親にお礼を言う習慣になっていますが、そういうわけで、明主様への信仰は、スーッと初めからはいって行けました。
とにかく明主様という方は、芸界の人間を温かくおいつくしみ下さった方でした。私など熱海へ伺いまして、ご一緒に映画を見せていただいたこともありますが、明主様は、『杵屋さん、ここへおいでなさい』とご自分の側に呼んで下さって、そしてそのあと、ご飯もご一緒してほんとうに心の温かい方だという思いがします。
私の弟子のひとりが、ある時、明主様とご一緒に食事をさせていただき、帰って来て、それをある人に話したのです。
しかし、その人はそれをほんとうにしません。ーー明主様ともあろう方が、おまえなどと一緒に食事して下さるはずはない、それは嘘だろうーーそう言って信用しなかったのです。
その話を、私はあとで弟子から聞いて、こう言ってやりました。
「明主様は、芸というものを頭に置いて下さったのだ。それだから、おまえと一緒にご飯も食べて下さったのだ。おまえという人間ではなく、三味線という芸に生きるおまえを頭に置いて待遇して下さったのだーー」 と。
全く、明主様は、そういう方でした。