昭和二十年、終戦の年に私の腰が抜けた時、妹の霊が出まして、明主様にご浄霊をいただかないと助からないし、明主様に助けていただいて、御用をしなければならない体であるから、どうしてもご浄霊をお願いしろ、というわけなのです。そのころ霊のことなんか信じませんでしたが、ともかく私の先生を通して、明主様にご浄霊をお願いしていただきました。ところがそのうちに、まるっきりブラブラになってしまいまして、おぶさっても行かれなくなったのです。
それで私の先生は、“こんなひどい体では、ご浄霊をいただくにしても一日や二日では治らないだろうし、無理だ”と思ってご遠慮して下さったんです。そうしましたら、私のところへ井上さんから電話で、容態を心配して尋ねて下さったので、「実は腰が抜けて動けないのです」と返事しましたら、“ちょっと明主様に申し上げてくるから”と電話を待たして、明主様におうかがいして下さいました。すると、明主様は、『すぐに来なければいけない』とおっしゃられるのだそうです。
けれど、そのころは自動車がなかなか見つからなかったものですから、一日待ったのです。そうしましたら、朝と晩に電話がかかってきまして、“どうしても早く来なければいけない”と、お呼びいただいたのです。それでなんとか自動車の都合をつけて、すぐにおうかがいしたのです。
おうかがいすると、すぐにお部屋に連れて行っていただきました。
明主様は、私をご浄霊下さりながら、『あなたの体はすっかり衰弱してしまっている。あと一週間遅れたら命も危なかった』と申され、私はほんとうにドキンとしました。 その時の明主様のご浄霊は、長時間に亘って、あまりにも丁寧にして下さいますので、実に申しわけなく存じつつも、“他人の浄化の際には、このようにさせていただかなければならぬ”との教訓を、また私の心に与えて下さったのです。 その時の私を、いかに明主様がご心配下されたことか、明主様は私に、『私は高位高官から頼まれてもご浄霊はしないよ。御用に立つ人間だったら、どんなことをしてでも肋けてやるんだ』とおっしゃいましたが、そのお心の温かさに、私はにじみ出る涙をどうすることも出来ませんでした。
それから十日ほどたって、明主様は、『もう大丈夫、やっと安心出来た。何しろあんたのことが心配で、ゆうべまで夜もおちおち眠れなかった』と仰せられました時も、あまりのありがたさに、感きわまって、お礼さえ申し上げられなかったほどでした。
明主様が、常に『人間は偉く見せようとすれば骨が折れるが、ありがたい人だと思われれば楽ですよ』と仰せられておりましたが、そのお言葉を思い出すたびに、私のいのちをお救い下さった時の明主様のご親切が、まざまざと浮かんでまいります。 そして、私は、その時考えましたのです。“私のような、無学で教養のない人間でも、誠心誠意お使いいただいたら、御用に立たせていただけるのではないか”と。