閻羅王の画

 今年の節分について、もう少し詳しく話をしてみます。前にも言った事がありますが、節分というのは、古い時代に、国常立尊(くにとこたちのみこと)という神様が、世界を支配していたとりう事になっているのですが、その時分の事だから、世界と言ったところで全部だかどうだか分りませんが、まず日本を中心にして、相当広範囲に支配していたに違いないのです。

 それで神様といったところで、やはり人間なのです。しかしその時分の人間は、非常に霊が高かったのです。その時分は、昼間の世界の終りぐらいだったのですが、ところが長い時代にだんだん人間が、夜の世界のために穢れに穢れて、霊的にレベルが低くなったわけです。

 それでよく「天神七代、地神五代」という事がありますが、天神時代というのは、天の神様・・・神道の方で言うと「天津(あまつ)系」「国津()くにつ系」あるいは「天津神」「国津神」と言いますが、天系です。

 大体日本民族は天系なのです。その天系だった頃は、天照天皇という最後の天皇が支配していたのです。それで、これはいつかも言いましたが、天照天皇が日本を逃げて、皇后様だけが残って、それが天照大御神と、こうなっているのですが、それよりか前に、国常立尊という神様が支配されていたのです。

 その神様は非常に厳格で、つまり至正至直で、ごく正しい事でないと許さない、というような事のためにーーこれも神道の方にもありますがーー大勢の神様が一致して押込めたのが、節分の晩としてあるのです。

 その押込めた方の総大将が天若彦(あめのわかひこ)という神様で、そうして、もう国常立尊は世の中に出られないようにというので、艮(うしとら)(東北)の方角に押込めたとなっているのです。

 そうして、艮に押込めたからして艮の金神(うしとらのこんじん)という御名前にもなり、艮の金神国常立尊となったのです。そうして節分の晩に豆をまきますが、″炒豆に花が咲いたら出てもよい、さもなければ永久に押込めてしまう″というわけで、それから炒豆をまいたのです。それは三千年としてありますが、いよいよ三千年たって、その国常立尊が再びこの世に現われる、その機関として出来たのが大本教です。

 ですから大本教のお筆先に「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりだぞよ。梅で開いて松で治める神国になりだぞよ。日本は神国。この世は神がかまわなゆけぬ世であるぞよ」という事を教祖は獅子吼(ししく)したわけです。最初大きな声をして怒鳴ったのです。それで気違い扱いされて警察に留置された事がありますが、そういうわけで気違い婆さんにされたわけです。それが明治二十五年の一月元旦です。

 ですから″梅で開く″というが、梅というのは、花は五弁になってます。これは五大洲を形取ってあるのだそうです。ですから″一度に開く梅の花″というのは、世界が一度に開く、という事なのです。

 ところが今年の節分は、いよいよ艮の金神様が表になる、つまり今まで三千年隠れていたのが表面になるのです。それで、大本教を開いたのは、霊界がそうなったのです。ところが今度は、現界がそうなる。という事になったのは、この節分にお知らせがあったのです。それはいずれ言いますが、今はまだ言う事はできません。一年ぐらいは言う事はできないのです。それはやはり梅に関した奇蹟なのです。それは私は三、四年前から準備していた事ですが、そういうようなわけで、いよいよ表になるという事と、それからお筆先に「今度はこの世の閻魔と現われるから」という事があるのです。

 というのは、御隠退になっている時は、霊界に行かれて閻魔大王になるのです。閻魔大王というのは、要するに霊界における審判の・・・今でいう検事総長とか、最高裁判所長というような、そういった・・・裁きの最高の地位です。

 ところが″この世の閻魔と現われた″というのですからして、今度は、現界的の裁きをされるわけです。これが審判です。これが又面白いのは、立春の日に、京都の方の道具屋が、閻魔大王の絵を持って来たのです。それで私は″ハハア、神様は、いよいよ国常立尊様が現界の閻魔大王の御働きをされるという事だ″という事を思って買いました。それは支那の元時代の絵ですが、閻羅王(えんらおう)と書いてありますが、支那では閣魔大王の事を閻羅王と言うのです。吉田松陰の書いたものにもありますが、「精神一到何事か成らざらん。われ王候を得ずんば、死して閻羅王とならん」という事かおりますが、王候というのは大名の事を言うのです。やはり日本でも閣羅王という事を言われたわけです。それで家来が二、三人居ましたが、いずれ美術館に出します。

 神様はすべて型で見せますから、その閻羅王の掛物によってお知らせになったわけです。そういうような事があったのです。立春の日には、その掛物は知らなかったのですが、それで、この節分から非常に浄化が強くなるという事を言いましたが、やはり合っているわけです。そういうようなわけで、今年からまた、非常に霊界が明るくなるわけです。明るくなると、善の方は非常によいですが、悪の方は反対に非常に苦しい事になります。最近いろんな汚職事件が出ましたが、こんなに一度に次々に出るのは今までに例がないでしょう。これもやっぱり、その一つの現われ、というように見られない事はないです。

「御教え集第31号」 昭和29年2月7日

御教え集