悪を制御する力=エホバの光

 この間、アイゼンハウワー大統領が、確か今月の一日頃と思いますが、宣言をしました。それは″水素爆弾というものは確かに恐ろしい。しかしこれは、使う人の目的によって、恐ろしい物にもなれば、又さ程恐れる必要はない″という事を、世界に向って宣言しました。あれは全くそのとおりです。つまり武器として使ったら、それこそさっき言ったとおり一大恐怖です。どのくらい人類に、被害・・・どころではない、もうほとんど、人類の絶滅と言われる程の恐ろしいものです。けれども、そういった戦争のような武器という意味で使わなければ良いのです。では、戦争の道具に使うという事は、善悪とすれば結局悪に使うから、人類に災害を与えるのです。これを善に使えば良いのです。

 そこで、悪に使わないとすれば、悪の思想、観念を、人間から抜けばよいのです。しかし、全然抜くという事はできませんが、悪より善の方が勝っていればよいのです。何時も言うとおり、悪が四で、善が六ならよいのです。悪の制御です。その制御の力がないから、恐ろしいのです。すなわち、水素爆弾が恐ろしいというよりか、人間の悪を制御する事ができない、という方が恐ろしいのです。

 悪を善にする力は、どうすればよいかというと、そこにつまり、宗教の価値、生命があるわけです。だから悪を淘汰するというよりか、悪を弱らせる力が必要です。それが宗教の役目です。然して、それだけの力のある宗教は出なかったのです。出なかったからこそ、悪の方が淘汰されないで、思いきってやると、そこに水素爆弾が出来たからして、いよいよ危ないという事になったのです。悪を弱らせる力がないとすれば、ここに宗教家の役目というのが、一番重大な問題になって来るわけです。

 そう見て来ますと、その力のある宗教は、あるかというと、私はあると言う。一つあるのです。それは口はばったい事をいうようですが、それが救世教です。悪の力を抜く宗教、悪を制御する宗教、悪を弱らせる宗教、それは救世教より他にないのであります。

 では、一体救世教というものは、どういう方法で、そういう事が出来るかというと、それが光です。つまり光のある宗教、光のある教祖なり宗教家というものは、今まで地球上に出なかったのです。その出なかったという事は、何によって分るかというと、これも甚だ大きな話ですが、ちょっと信じられない話です。けれども、本当の事ですから、言わなければならないわけです。救世教の人達は分りますが、そうでない人が聞いたら″ああいう大きな事を言うのは、あいつは山師か、頭がどうかしている″と言うでしょうが、これは本当です。

 それは何かというと、最近、キリスト、釈迦、マホメットという、偉い人達がみんな、私に″救ってくれ″と、言って来ているのです。

 その一例をあげますと、最近キリストが、ある若い婦人に憑って来て、この間、私は浄霊をしてやったのですが、浄霊するかしない内に、涙を潸然(さんぜん)と流して、実に、感謝に堪えない態度です。長い間、霊界で非常に苦しんだのです。しかし″今度はお救いいただいて有難い、嬉しくて嬉しくてしようがない″と言って、シャクリあげて泣くのです。しばらく話ができないので、その間待っていたのです。

 そういう事が、二度ありましたが、聞いてみますと、キリストが憑った時には、やはり磔(はりつけ)の苦しみがあって、そうして、よくキリストの磔の像で、こういうように、首を曲げて居りますが、やっぱり首を曲げるのだそうです。どうも首を何かで押えられたような、非常に苦しいそうです。それは、つまり磔に遭ったから苦しいのです。つまり、その苦しみが、すっかり取れないのです。取れないという事は、何故かというと、光がないからです。それで、この婦人は、去年頭がおかしくなって、私か治してやったのです。それでまだ固まりがあるので、時々来いという事で、時々やってやったのです。すると、何時の間にかキリストがそれに憑って、何時の間にか良くなったというのです。

 それからマリヤですが、マリヤは、自分の息子が救っていただいたというので二、三度出て来ましたが、非常に感謝してました。それから順々に出てくるのです。 

 ヨハネも出て来ましたが、ヨハネは、二千七百五十年、霊界で苦しんでいたが、救われたと言って、非常に感謝してました。

 最近はキリストの弟子で、なかなか偉い人で、ヤコブというのが憑って来ました。

 そういうわけで、マホメット、孔子、お釈迦さん、日本では、弘法だとか、親鸞などが憑りました。続々憑って来るのです。

 そして、何か欲しいかというと、光が欲しいのです。私がちょっと浄言をしてやると、光を受けますから、救われます。だから光を求めて、世界中からやって来ているみたいです。光を受ける事によって、悪を制御する事が出来るのです。

 そういうわけで、今のような偉い、人達・・・でもないですが。神達・・・でもない、そういう聖者達が、救世教のために大いに慟くというのです。今までも、働かしていただきたかったけれども、穢れがあるので、曇りがあるので慟けなかったが、今度曇りを取っていただいたから、大いに働けるというので、みんな勇んでいるのです。ですからそういう、つまり八百万の神様と言いますか、束になって活動しますから、いかに世界中に、大きな発展ができるかという事がよく分るのです。

 その他いろいろと、沢山出て来ましたが、これは順次「地上天国」に出ます。

 そういうわけで、死んだ霊、生きた霊、両方とも、救世教の神様と言うとおかしいですが、これはキリスト教の「エホバ」です。

 それから「東方の光」と言う人もありますが、それによって、みんなきれいに掃除をされて、そうして清浄で働くわけです。これは余程偉い人は、みんな知っていまして、キリストの「天国」とか、いろいろと予言されたのを、待っているのです。いよいよ、待っていた、本当の、世界を天国にするという、事業が始まったというので、我勝ちに、やらしてもらいたいとて、集まりつつあるのが、今です。だからして、不思議なような事で、不思議はないのです。

 当然、来るべき事が来、時節が来た、というだけの話なのです。それがために、あなた方が光を分け与えられて、碓かに人を救うという、確信を得られるという、こういう今までにないような事も、それがためだという事が、納得できるわけです。

 そういう事を知って、これからやると、又いろいろな説明は、何かの場合に、先方を分からせ納得させるというのに、大変な、大きな力になります。丁度、前にも言ったとおり、中京という所は、神様の方でも非常に重要な所です。西と東の真中で、中京と言ったのですが、私のやっている仕事は、伊都能売の働きですから、束と西の働きです。その真中の働きです。救世教のバッチが十文字で、真中が赤いのは日本です。昼間の世界です。中の黄色いのは、本当は金です。救世教になるわけです。それで、十の、緯は体的文化で、経は霊的文化であり、その経と緯を結ぶというわけです。アメリカと日本を結ぶという事が根本です。

「御教え集第33号」 昭和29年4月11日

御教え集