旦那さまがお仲人で

 私は十五の年から十九まで、大鋸町のお宅へ奉公に上がっていました。そして、旦那さまが親代わりになって、いろいろお世話下さいまして、その十九の時にお店の番頭と結婚しました。

 同じころに、松山ますさんと一緒に働いていましたので、仲よくもしましたが、喧嘩もしました。一度、庭で杉山さんと取組み合いの喧嘩をしたというんですが、私には記憶はありません。相山さんは覚えているそうですが、それでも何が原因だったかは思い出せないそうです。そしてその時、旦那さまは、『おまえたちは男なのか、女なのか』と言われたそうで、これも杉山さんから聞きました。

 旦那さまはたくさんの掛物をお持ちで、お客があると、よく蔵から出して、床の間にかけて見せていらっしゃいました。千円ぐらいのものも、どんどんお買いになりました。その時分、千円といえば、立派な家が建ちました。大観の絵で、柳が風にゆれている絵を買われましたが、千円と聞いてびっくりしたことがあります。書画骨董関係の人がよく来ました。

 また、明主様はお芝居がお好きで、有楽座の名人会によくお出かけになりました。義太夫の豊竹呂昇などお好きのようでした。帝劇に女優劇がかかると、券を二百枚も三百枚も買われて、それをみなにおわけになりました。

 私たちも時には月に二、三回も見せてもらいましたので、いまも歌舞伎は大好きです。そのころ大鋸町の岡田といえば帝劇でも通っていました。

 前の奥さまが亡くなって半年ぐらいして、二代様とご結婚になりましたが、式は日比谷の大神宮で、ご披露はたしか松本楼でした。

 二代様は水色の振り袖姿で、とてもお美しかった。近所を廻られるのに、私はそのうしろで、長い袖を持って歩いたことを覚えています。