第三の眼をひらく

 眼は、その人の内分<ないぷん>をもっともよくあらわすもので、口は偽<いつわ>ることができても、眼は偽れません。聖者の眼は、ふだんは模糊<もこ>としてつかみどころのないように見えてますが、ときどき射通<いとお>すような金光<きんこう>を放射<ほうしゃ>されることがあります。明主さまのお眼も小さかったけれど、ときどき金光を放射されたようにおぼえております。

 人間には、ふたつの肉眼<にくがん>のほかに、いまひとつ第三の眼と呼ばれる心の眼を具<そな>えているわけです。信仰はこの第三の眼をひらかせて、無形<むけい>の霊界を見せ、無形の神仏を信じさせるものであります。