大コレクター

 岡田教祖のやられたことは、すべて曼陀羅です。
一度教祖に、「資料博物館というものを造られたらどうですか」と進言したことがありましたが、教祖は高いものを蒐めたいと言われました。これは〝金額の高いもの″という意味でないことは言うまでもないでしょう。

 ともかく五年間であれだけのものが蒐まるということは、奇蹟というよりほかありません。時間的にもスピーディであったが、その巾も驚くほど広く、それをすべて自分自身で買われたことは偉いものです。

 いいものを蒐めるためには、ニセモノをニセモノと知って買うだけの大きな度量がなければ、決していいものは手にはいらないのです。それだけでも大コレクターでした。

 たいていの蒐集家には、だれか参謀格の人がいて、蒐集品はその参謀の好みになるというのが多いですが、教祖はそうした参謀を置かず、たとえば白山松哉とか竹内栖鳳とか佐藤玄々とかいう現代物まで蒐められましたが、これがほんとうの菩提心で、浮世絵の世界まではいって行かれたのも衆生済度の心があったればこそで、その趣味に微塵の安っぽさもない証拠と言えましょう。

 立派にバックボーンが通っており、列品主義、きれい好みの蒐集、そして蒐集欲のからんだ偏向というものがありませんでした。
 この点でも、教祖は普通の人間ではなく、まさしく傑物でありました。筋の通った趣味家であり、ひとつの理想をかかげた人であり、心から美を愛そうという美の人でありました。
 
あのコレクションは、ひたぶるな心をもって、拝むような心で観なければならないと、私は思っています。