4.教主奉戴の在り方

教主奉戴にも二種ある事

 教主奉戴という事には、確かに二種類あると思います。それは今日までのように、教主を象徴としてお飾りとして立てて、どこまでも運営が主体としていく行き方。それからもう一つは、同じ象徴としながらも、やっぱり信仰的な最高の指導者 …

霊主体従の教主観の確立が第二の創業の基本になる事

 教主奉戴といってる在り方、それには二つあるかと思います。一つは象徴としてのお飾りとして立てる、そしてどこまでも運営が主となっていくという行き方、もう一つは同じ象徴ながら、信仰的には明主様と信者との中間に立つ、神意の仲介 …

教主を甘く見る事の誤りについて

 神的順序、霊的順序。その上におる教主であります。二十年も坐っておる教主が驅されているなどと言う事の出来る心というものは、たいした驕りではないでしょうか。もうこちらにおられるような明主様時代から何十年三十年、四十年とご奉 …

教主中心の在り方について

 ご神業というものは教主中心だからといって、教主がすべて表面に出ていって、あれせこれせというのではないのです。もうこんなに大きくなった教団、明主様の時代と違うのであります。全部執行部がその運営をまかされて、ただ教主の意向 …

資格者、幹部が教主観を狂わせていた事

 教主と皆さんとをつなぐ、その間の資格者、幹部というところに間題がありましたのでございます。いわば教主奉戴という事には二種類あるのでございます。象徴としてお飾りとして立てて、どこまでも運営が主体としていく行き方、それは今 …

今までの教主中心とこれからの教主中心とはどう違うのか

 教主中心という事は何かという事をおりにふれて聞かれますですね。信者さんなんかは特に「私達は教主中心でやってきました。今までの教主中心とこれからの教主中心とはどう違うのですか」と。実際これはどうであるという事は、はっきり …