信仰に入ったなら

本教信仰の体制(かまえ)

 明主さまは、信仰の主要目的は魂を磨き、心を清めることであって、その方法には苦しみによる修行、善徳を積むこと、美に触れて魂を向上させるなどいろいろあるが、本教は天国的宗教であるから、できるだけ楽に信仰が徹底するよう、窮屈 …

ご神徳のいただける信仰体制

 信仰未熟な初期は、神さまも赤児として取扱われ、欲するまま、甘えるままにご神徳を授けてくださいます。それは未熟なるがゆえの特別の待遇なのであります。ちょうど幼児が母親に抱きかかえられ、おむつのお世話になるようなものであり …

真の信仰

 信仰に入りましたならば、初歩の段階からだんだんと中段、上段へ向上していかねばなりません。向上の遅速は人によりいろいろですが、向上すればするほど、自分のためというより、世のため、人のため、よりよき社会をつくらねばならぬ、 …

神とともに生きる

 信仰も初期の段階におきましては、しごく単純に心の悩みを解決されたいとか、病気をなおしてもらいたいとか、物質的お蔭をいただきたいとかの小乗的一身上のお縋りが多いのでありますが、それでもいままでしらなかった神さまとのつなが …

平凡なくらしの中にも神はある

 信仰はやさしくて、しかも難かしい道で、一朝一夕では真の信仰はつかめません。やはり鍛錬と順序があり、だんだんと身についていくもので、人はなにごともない普段から、信仰を身につけておかねばならないのです。はじめはぼんやりと神 …

おかげ信仰から神さまに奉仕する信仰へ

 低い信仰では、まず自分が幸福になる、病気が治る、目にみえるおかげがいただけるということに終始して、それ以上は進もうとしないのですが、これでは真の信仰とは申せません。しかし、それがけっしてまちがっているとは言えないのです …

深みのある信仰

 信仰初期の段階にありましては、物の考え方、受取り方が、どこか浅く単純でありまして、心身の悩みを癒されたうれしさに、一時は信仰に熱中いたしますが、だんだんとご神徳になれ、冷静になりますと、いままで気がつかなかった信仰のむ …

信仰の本質は人づくり

 自分の病気がよくなればいいとか、自分の家族だけが幸せになって、今日ありがたければいいなどと思っている間は、悪いことではありませんが、ごく低い初歩の信仰なのであります。それを入口としまして、どうしてもほんとうの信仰に入っ …