より実践するものが勝つ
信仰には、あとさきがあって、ないようなものです。より多く善を志し、より多く祈り、より多く実践するものが、結局勝って先へいきます。ですから、年功や序列など遠慮せず、どんどん向上されたらよいと思います。
まず実践
信仰も理論から入っていき、ある程度信仰がたかまったのちに、救済のお仕事にかかろうなどと考えるよりも、まず奉仕もしくは浄霊からはじめてみるのがより近道です。なぜならば、祈りと実行の中にこそ、悟りがひらきえられるからです。 …
ご神徳は体験の中にあらわれる
信仰の基本となるものは誠でありまして、これ以外には別に新しいものはないわけです。ただそれを実践し、体験することの中に、いろいろの変化、また汲めどもつきぬご神徳があらわれてくるのでありまして、そのあらわれ方をひとつひとつ …
信仰の妙味は体験から
道のため人のためと思ってする奉仕には、かならずおかげがあるわけです。第一は信仰が向上します。疑問に思っていたことが、奉仕をしておりますうちに、フッと神さまから智慧証覚をいただいて、わけなく解けていくということもあるので …
神第一の生活
神第一の生活とか、神に通う生活とか申しますのは、なにもお祭を一生懸命やるとか、神に手をあわせて祈るとかいう形式だけの意味ではなく、人間としてなすべき仕事、たとえば教師は教師、信者は信者、政治家は政治家、学生は学生、家庭 …
信仰即生活
明主さまは、宗教は内側だけのものではなく、政治、経済、外交、文化、その他いっさいに道義の筋金を入れていかねば、みろくの世にならぬと説いておられますが、これは信仰即生活であることを教えられたものと思います。宗教に理論づけ …
信仰者らしい行動を
信仰は神さまを拝んでおればよいというものではありません。拝んでいて悪事をすれば、拝まなくて悪事をした人よりもお咎めめはきついのです。その理由はイタチやねずみが神さまにご無礼なことをしても、それは動物であるとしてお咎めに …
瞬間々々を大切に
私どもにとっては一時間さき、いな一分さきの事柄でも未来に属し、人間の自由にはなりませんし、たったいま、なしたばかりの事柄も、つぎの瞬間には過去のものとなって、これまた自由にならぬものですから、過ぎたことをとやかく悔んで …
時は金以上
世間の人は「時」を無駄にすることをあまり気にしていないようですが、時ほど大切なものはありません。他の宝はしまっておくこともできますが、時は使っても使わなくても一瞬一瞬に自分からすり減っていくものです。『命とふりかえのこ …
不言実行は信仰の眼目
“言うは易く行うは難し”の譬え通り、口では誰もかれも善いことを言いますが、なかなか実行の伴わないものです。しかし、口にしたことは行わなければ意味がありません。信仰者に大切なことはなによりも不言実行です。 そして、信仰 …