深みのある信仰
信仰初期の段階にありましては、物の考え方、受取り方が、どこか浅く単純でありまして、心身の悩みを癒されたうれしさに、一時は信仰に熱中いたしますが、だんだんとご神徳になれ、冷静になりますと、いままで気がつかなかった信仰のむ …
信仰の本質は人づくり
自分の病気がよくなればいいとか、自分の家族だけが幸せになって、今日ありがたければいいなどと思っている間は、悪いことではありませんが、ごく低い初歩の信仰なのであります。それを入口としまして、どうしてもほんとうの信仰に入っ …
信仰は家族の和合が先決
信仰は一家中の人の気持がそろったとき、もっとも強い信仰の力を発挿するものであります。家族みながおなじことをする必要はなく、ご用の中心となる人が、もっとも働きやすいように、家族一同で協力すればよろしいのです。ただし「おひ …
和は信仰の根本
信仰は夫婦、家族そろってするのがいちばんよいと思います。と申しますのはバラバラの信仰は、どうしてもほんとうの力がでないからです。たとえば夫婦のうち一方だけが信仰している場合、その発揮する力は二分の一かと言いますと、そう …
家ぐるみ信仰は逆境を乗りきれる
私がいつも家ぐるみの信仰をおすすめいたしますのは、逆境にたったとき一人より二人、二人より三人、またひとつの家がおなじ信仰にあるということが、もっとも大きな力をいただく原因になるからであります。逆境にたったときばかりでな …
家ぐるみ信仰になると強い力がでる
神さまは和合をいちばんおよろこびになり、大きな力は和によって生まれます。ひとりひとりがいくら熱をあげてもしれたものですが、多勢あわさるときにはすごい熱になります。信仰は山をも動かすと言われるのもそれであります。 一軒 …
不退転の信仰は家ぐるみから生れる
一家のうちで個人的に信仰をつづけている場合は、どうしてもある程度の制約を受けて、充分の働きができないと思います。もちろんうまくいっている場合は、さほどそれも苦になりませんが、いったん逆境にたたされたときには、じつに心細 …
信仰は実践でつかむもの
唯物的教育をうけた人は、とかく理論にはしりがちで、信仰も理論によってつかもうとし、論理的に納得がいったら信仰しようなどと言っていますが、信仰は理論以前のもので、けっして理論によってつかめるものではありません。ではどうし …
信仰は実践でつかむもの
唯物的教育をうけた人は、とかく理論にはしりがちで、信仰も理論によってつかもうとし、論理的に納得がいったら信仰しようなどと言っていますが、信仰は理論以前のもので、けっして理論によってつかめるものではありません。ではどうし …
霊体一致の信仰
神さまを信仰するということは、ただありがたいといって手を合わせておるだけでは、まだ本物ではないのです。それは信仰の信だけはあっても、行いが欠けておりますから、霊体一致になりません。ちょうど、お腹に子が宿っても、みず子の …