たまのいずみ信仰編

中道を正しく歩むために

 人間は、神と獣の中間に介在しておるもので、ともすれば体欲にかられ、獣性に偏ろうとするものでありますから、中道を正しく歩むには、どうしても宗教が必要であり、正しき信仰が必要なのであります。

人は神によって生かされている

 私どもは、祖先(おや)あってこそ今日こうして生かされているのでありますから、祖先への感謝は人として当然なことですが、さらにまた祖先から祖先へとたずねていきますと、これは神代の神々さまに連なっております。またさらに本源へ …

納得のいく信仰

 信仰は、たとえ他人からすすめられても、自分の方にも受入れようとする意欲がないかぎり、予期した効果はあがらぬものです。万一義理や、情実で入信したとしても、そんな信仰は一朝困難にぶつかれば、動揺してたちまちはげおちてしまい …

悪因縁を結ばない

 悪い因縁を結ぶことは、一生の不作であるばかりか、二生も三生もこの因縁がついて廻り、そこから容易に抜けきれないものであります。ですから、人生にもっとも大切なのは、悪い因縁を結ばないことです。その意味で、信仰の場合も、正し …

本教信仰の体制(かまえ)

 明主さまは、信仰の主要目的は魂を磨き、心を清めることであって、その方法には苦しみによる修行、善徳を積むこと、美に触れて魂を向上させるなどいろいろあるが、本教は天国的宗教であるから、できるだけ楽に信仰が徹底するよう、窮屈 …

ご神徳のいただける信仰体制

 信仰未熟な初期は、神さまも赤児として取扱われ、欲するまま、甘えるままにご神徳を授けてくださいます。それは未熟なるがゆえの特別の待遇なのであります。ちょうど幼児が母親に抱きかかえられ、おむつのお世話になるようなものであり …

真の信仰

 信仰に入りましたならば、初歩の段階からだんだんと中段、上段へ向上していかねばなりません。向上の遅速は人によりいろいろですが、向上すればするほど、自分のためというより、世のため、人のため、よりよき社会をつくらねばならぬ、 …

神とともに生きる

 信仰も初期の段階におきましては、しごく単純に心の悩みを解決されたいとか、病気をなおしてもらいたいとか、物質的お蔭をいただきたいとかの小乗的一身上のお縋りが多いのでありますが、それでもいままでしらなかった神さまとのつなが …

平凡なくらしの中にも神はある

 信仰はやさしくて、しかも難かしい道で、一朝一夕では真の信仰はつかめません。やはり鍛錬と順序があり、だんだんと身についていくもので、人はなにごともない普段から、信仰を身につけておかねばならないのです。はじめはぼんやりと神 …

おかげ信仰から神さまに奉仕する信仰へ

 低い信仰では、まず自分が幸福になる、病気が治る、目にみえるおかげがいただけるということに終始して、それ以上は進もうとしないのですが、これでは真の信仰とは申せません。しかし、それがけっしてまちがっているとは言えないのです …