不動の信仰をつかむ近道(実戦)

信仰は実践でつかむもの

 唯物的教育をうけた人は、とかく理論にはしりがちで、信仰も理論によってつかもうとし、論理的に納得がいったら信仰しようなどと言っていますが、信仰は理論以前のもので、けっして理論によってつかめるものではありません。ではどうし …

信仰は実践でつかむもの

 唯物的教育をうけた人は、とかく理論にはしりがちで、信仰も理論によってつかもうとし、論理的に納得がいったら信仰しようなどと言っていますが、信仰は理論以前のもので、けっして理論によってつかめるものではありません。ではどうし …

霊体一致の信仰

 神さまを信仰するということは、ただありがたいといって手を合わせておるだけでは、まだ本物ではないのです。それは信仰の信だけはあっても、行いが欠けておりますから、霊体一致になりません。ちょうど、お腹に子が宿っても、みず子の …

より実践するものが勝つ

 信仰には、あとさきがあって、ないようなものです。より多く善を志し、より多く祈り、より多く実践するものが、結局勝って先へいきます。ですから、年功や序列など遠慮せず、どんどん向上されたらよいと思います。

まず実践

 信仰も理論から入っていき、ある程度信仰がたかまったのちに、救済のお仕事にかかろうなどと考えるよりも、まず奉仕もしくは浄霊からはじめてみるのがより近道です。なぜならば、祈りと実行の中にこそ、悟りがひらきえられるからです。 …

ご神徳は体験の中にあらわれる

 信仰の基本となるものは誠でありまして、これ以外には別に新しいものはないわけです。ただそれを実践し、体験することの中に、いろいろの変化、また汲めどもつきぬご神徳があらわれてくるのでありまして、そのあらわれ方をひとつひとつ …

信仰の妙味は体験から

 道のため人のためと思ってする奉仕には、かならずおかげがあるわけです。第一は信仰が向上します。疑問に思っていたことが、奉仕をしておりますうちに、フッと神さまから智慧証覚をいただいて、わけなく解けていくということもあるので …

神第一の生活

 神第一の生活とか、神に通う生活とか申しますのは、なにもお祭を一生懸命やるとか、神に手をあわせて祈るとかいう形式だけの意味ではなく、人間としてなすべき仕事、たとえば教師は教師、信者は信者、政治家は政治家、学生は学生、家庭 …

信仰即生活

 明主さまは、宗教は内側だけのものではなく、政治、経済、外交、文化、その他いっさいに道義の筋金を入れていかねば、みろくの世にならぬと説いておられますが、これは信仰即生活であることを教えられたものと思います。宗教に理論づけ …

信仰者らしい行動を

 信仰は神さまを拝んでおればよいというものではありません。拝んでいて悪事をすれば、拝まなくて悪事をした人よりもお咎めめはきついのです。その理由はイタチやねずみが神さまにご無礼なことをしても、それは動物であるとしてお咎めに …