神とのかかわり合い
よく無信仰者は、〝神がほんとうに存在するものなら見せてほしい″と申しますが、それは無理な注文であります。なぜなら神とは目に見えず捕捉できない隠れ身の存在で、言わば大宇宙の本体(支配力)を人格化して表現したものに外ならな …
幸福への道標
信仰は地上ばかりでなく、永世の栄えのために日々を無駄なく精進する道であり、自分が幸福になることは、他人を幸福にすることであるとの真理を、具現していく道であります。他のためにつくしたときほど愉快を感じることはありません。 …
人生の本義をさとす
人生窮極の目的は、無限絶対、無始無終の実在神にめぐり合い、永遠不滅の生命と信仰の歓喜をたまわることであって、またそれは、錆び腐る宝とは雲泥の相違ある心の宝を身につけることであります。もちろん、名位寿福も人生の宝であって …
信仰は人生の至宝
心の素直なものは、先哲の教訓や体験記を読んだだけでも、そこから悟りをひらきうるものでありますが、心が頑なで慢心強き者は、いかなることに遭遇しても、それによって自分自身を反省し、練磨しようという意志はありませんから、せっ …
人づくり
宗教は人を正しく教え導いて、正しい人間を作っていくものなのであります。そういう正しい人間を、たくさん社会に送りだすことによって政治も変わり、社会制度も変わっていくのでありまして、私どもの仕事は、直接政治には関与しません …
正しい人生観をつかむ
いくら智者、学者といわれる立派な人でも、ほんとうの人生観は、なかなか持てないものでありますが、信仰をすると、これをつかむことができます。正しい人生観とは、神さまの存在を認め、人間は神さまの道具として、この世に生まれてき …
平凡なもの
信仰とは、平凡なもので、ごく当り前のことを当り前にすることであります。ですから、信仰はすなわち人間の道と言われるのであります。 朝夕、日と月と地のご恩を感謝いたしまして、神さまにお祈りをささげますのも、人間としてはご …
与えられるもの
人間の心は、本質的には宇宙の太霊(かみ)の分派であって、神心または良心といわれる浄きものなのであります。つねに、この心の鏡を磨いて太霊心をうつし、太霊(かみ)と繁ってさえおれば、その行いは真理に叶うはずなのです。かよう …
惟神にうけとる
神はあるという人、ないという人、世はさまざまですが、理論は人間の作るものでありますから、なんとでも説けます。信仰は理論以前からあるもので、神さまから与えられるものであります。いわば信仰は惟神にうけとらせていただくものな …
楽に真理が発見できる
真理を発見するために、よい思想を持つのはいいことですが、それには学問が必要となってきます。ですから、これは誰にでもというわけにはいかず、難中の難事であります。その点、信仰はどんな学問のない者でも、楽に真理が発見でき、神 …