書籍

けんかみたいなこともした

 いつだったか、ある人の紹介で、〝十代の女の子が油絵を習いたいというている″と言うんです。でも、そんなの邪魔くさいから、知らん顔をしていたんです。  その後、〝近所だから一ペん行ってもいいか〟と言って、ぼくの呪懇の人の紹 …

芸術的なお顔

 明主様が、箱根強羅の藤山雷太さんの別荘をお買いになってまもないころ、私は写真のことで明主様にお目にかかりました。私は藤山さんの時から出入りしていましたので……。  写真といっても、最初は記録的なもので、建物や庭を撮影し …

不思議な方という印象

 先日、私の友人の息子さんが、熱海に本部のある救世教の信者になったというのを聞いて、「それでは教祖は岡田さんではないか」と尋ねると、「そうです」とのことで、ゆくりなくも私の記憶の底にあった十五年前のことを思い出したのでし …

雪が降っても散歩

 私が神奈川県の金沢にある旦那さま(明主様)の別荘へ奉公に上がったのは、大正五年、私が十六才の時で、それから東京京橋大鋸町のお宅へ上がるようになり、二十一才の春までお世話になりました。  旦那さまはとっても潔癖で、顔をお …

政治家になられても

 昭和二十五年ごろだったと思いますが、当時教団の顧問をしていたMさんの案内で、碧雲荘に伺い、初めて明主様にお目にかかりました。  その時の印象として、お目にかかる前まで私は、明主様は一宗の教祖であられるから、神様ぶってお …

からっとしたお人

教祖さんは、全く言行一致の方で、『山を見に行くからきみも来ないか』とおっしゃって、いまの瑞雲郷へお供して登ったことがありますが、こんなところに大きな建物──現在の救世会館ですが、そんなものが出来るもんかと、実は疑っていた …

茶人の真髄を

 茶事の時は、お客になるよりは亭主になって、いろいろ道具立てを考えたり、作戦を立てたりするのが楽しいと申しますが、明主様もむしろお客ぶりよりも、ご亭主ぶりの方を、楽しみになった方じゃございませんですか。  お客をなさる時 …

忘れられないご恩情

 大正三、四年ごろと思いますが、亡くなった主人が三越の仕入部長をしております時に、岡田さんのお店へ立ち寄り、「小間物屋さんと取引したいのですが、どこかありませんか」と聞いたのです。  すると岡田さんは、ご自分のことはおっ …

飾りのない人

 昭和二十五年の大火のあと、熱海で私の絵の展覧会を開いた時、岡田さんご夫婦が見に来て下さいました。  それが私が岡田さんにお会いした最初で、その後、買って下さった絵の代金をいただきに清水町のお宅へ伺いました。そして、いろ …

惣菜の味

 岡田さんの人柄というものは、非常に魅力がありました。 私は文士ですから、いろいろの人間に接して、いろいろ人間を見抜く目をもっていると自負していますが、岡田さんは、非常に人をひきつけるところのある人物だと思いました。   …