書籍

とにかく常人ではない

 教祖にお会いしたのは、昭和二十七年の秋だったと思います。大石秀典氏が、一度岡田さんに会ってみないかと言うんです。  それでぼくは、子供をつれて箱根へ行ったのです。子供は美術館が観たいというので、そちらへ行き、ぼくは教祖 …

ご一緒に映画を観て

 私が明主様にお会いして、一番最初にピンと来ましたのは、そのお部屋の花です。  明主様は、お花をご自分で床に生けられました。私どもがお招きを受けて伺うと、いつもご自分で生けられたお花が床にありました。  その生けられたお …

豊かな人間味

 兄の猿翁と二人で教祖様にお目にかかったことがありますが、その時初めて教祖様が、私どもと同じ浅草のお生まれだということを伺い、兄も浅草の思い出をなつかしそうにしていました。教祖様も千束町にいらしたことがあるとかで、私ども …

火の玉

 岡田さんは酒脱で、正直で、文化的事業に対して相当に大きな理想をもっている人でした。  気取らず、率直でした。しかし親分的なもの――これは清濁合わせ呑むといったものを指す場合が多いですが、こういうタイプには、眺都が多いん …

〝先生″のニックネーム

 岡田茂吉という名前を聞いただけでも、昔がなつかしく思い出されます。  私も美術学校の出身ですが、その美校の変わり種、岡田さんが、今日の偉業を達成された大きな熱情と人格に、私は敬意を表します。  岡田さんは、私よりも一年 …

 思いやりの深い人

 教祖の思い出といっても、当時の私はホンの子供でしたので、あまりはっきりした記憶は残っていないのですが、茂吉さんは思いやりがありました。  横浜の金沢に茂吉さんの別荘がありましたが、その別荘へ、自分の店の店員だけでなく、 …

散歩にもラジオ

 あれはたしか昭和二十七年か二十八年の春ごろだと記憶しています。  当時、東京日本橋の本町に墨田組というのがあって、私はいつもそこの仕事を頼まれていました。たまたま、京都のえらいお茶の先生の紹介で碧雲荘の茶席をその墨田組 …

一流の茶人に匹敵

 昭和二十四年ごろでしょうか、箱根のお茶室が出来上がった翌年、たまたま白牡丹(松田幸次郎)さんと私が箱根へ行ってお庭を拝見している時に、そこへ教祖が、例のかまわないなりでノコノコとやって来られたわけです。  それで、松田 …

大霊能者

 調査官というような立場から一宗の教祖にお会いすると、たいていの場合は、かまえられるものであり、その答弁もよほど考えて、そつのないように、いわば、よそ行き的になってしまうものでありますが、岡田教祖さまの場合は、初対面の時 …

いま苦しんでいる人を

 岡田さんが、大本に入信されたころ、大本では、文芸活動に力を入れておりまして、明光社という文芸活動の独立機関を持っておりました。私は明光社の社長をしておりましたが、岡田さんが参拝に見えられた折、よく明光社へ来られましたが …