書籍

負けずぎらい、泣きごとぎらい

 明主様は、美術館をお建てになるというので、そのころ、ほとんど毎日美術商の方に会われたわけですが、これがまた大変慎重を要することでございました。  何かすばらしいものがまいりました時、もし二代様の方が先に、「先生、これい …

自由と規律と思いやり

 明主様はお忙しかったせいもございましょうが、子供たちにはどちらかと申せば、放任主義でございました。信仰も特に強いるようなこともありませんで、『人間は好きなことをするのが一番よい。だけど、ただ、泥棒や 巾着切は困るよ』な …

おやさしさ

 明主様はほんとうにおやさしい方でした。  たとえば、おばさまは年をとっておられるので、何か思い違いをなさることがあるのです。もっとも明主様の方だって勘違いなさることがあるのですからお互いさまですが――。  すると明主様 …

おしゃれ

 明主様は、年をおとりになってもなかなかのおしゃれでした。  私は、昭和二十六年に日比谷公会堂で、宗教講演をなさった時の明主様のことを思い出すのですが、その日明主様は、紺のダブルの洋服を召され、赤っぽいネクタイを締めてお …

家庭人として

 明主様のおつむはずいぶんお若い時から白かったらしいのでございます。これは歯が悪くて、いろいろ強い薬をお用いになった、それが原因で白くなられたそうです。  二代様は白髪染を持ってお嫁に来られたそうですが、その後、明主様の …

『ああ、いいね』

 箱根のお茶室 (山月庵)は、木村清兵衛さん、大工の大木さん、それに左官の方は大体私という三人で造らせていただきました。 先生(明主様)はとてもご趣味の広く深いお方だと思います。ときどき建築場へおいでになりましたが、『あ …

想い出すこと

 昭和二十九年三月五日、「光は大地に」が静岡の新聞に連載されて五日目、私は熱海の碧雲荘へ初めてお伺いしました。  その時のことを、思い出すままに少し書いてみようと思います。  『きみがわたしのことを小説に書くというので、 …

謹直な人という印象

 私は教祖の岡田さんに三、四度お目にかかっています。  初めてお目にかかったのは熱海のお屋敷で、昭和二十四年ごろ、まだ戦後の物資の不自由なころでした。  その時、とても大きなシュークリームを出され、それに圧倒されて、食べ …

自信に満ちた神秘性

 初めてお目にかかった時、明主様は、『あんたはどういう仕事をしているんですか』とおたずねになりました。  そこで、これこれですと申し上げると、『では実業家なんですね』とおっしゃいましたが、そういう明主様の、特に威厳をつく …

人間業でない着想

 箱根美術館に、私の作った寵が出陳されているのをごらんになった方もあると思いますが、そのうちの一点は、明主様のご注文によって昭和二十八年ごろ作ったもので、中国の陶器(南宋の郊壇窯の壷)を模して作ったものです。  この籠の …