書籍

ラジオの長唄にも気をくばって

 明主様のご夫婦愛についてですが、ラジオで長唄があり、そのとき二代様がラジオを聴いておいでにならない場合など──特に吉住先生の長唄などのときには──必ずそれを、『奥さんに知らせてあげなさい』とおっしゃられるのです。  『 …

『枕をもって来い』

 明主様が東山荘にお住いのころです。  お揃いでお出かけの際、二代様がお化粧をなさるあいだ、明主様は、納戸の所で待っていらっしゃいます。  二代様のお化粧が長くかかると、明主様は、『枕をもってこい』とおっしゃって、枕をお …

お父さまに古物談義

 あのころ(二十二、三才)の明主様は、夕ご飯が終わりますと、必ず銀座をひと廻りされるのが日課になっておりました。それもただ散歩されるということでなくて、銀座にはたくさん夜店が出ておりましたから、そういう夜店のうちで古道具 …

兄といっても先に生まれただけ

 明主様と主人(明主様の兄君)のことですが、ふたりともなかなかの理屈屋だったそうで、よく一緒にいた時は口喧嘩をしました。いつも父が中にはいって「武次郎、いい加減にしておけよ。おまえが言いすぎるからいけないよ」なんて言って …

父から教えられたことども

 父(明主様)は、私たち子供のことでは、大体放任主義でした。しかし、口では言わなくても、父親としての暖かい気持をもっておられたことは、よくわかっていました。私は小さい時から、人一倍感じやすい性質でしたから、父がどんな気持 …

心の中に生きる父の姿

 昭和十九年のころのことですが、私が父(明主様)の部屋へ行くと、机の上に紙の綴ったものが置いてあるので、何気なく開いてみると、父のことが書いてあるので、「読んでもいいですか」と、きいてみました。  すると、父は、『ああ、 …

温かく大きな抱擁力

 私は昭和二十五年に結婚して、東京の田園調布に住んでいましたが、明主様は時々私の家へおいでになりました。  明主様が、二代様とご一緒に上京されるという電話があると、お着きになる時間をはからって玄関へ出ております。  明主 …

庭を林間学校に開放

 お子さまの教育について明主様は、ご自分は非常に忙しくて直接手を下さらなかったが、家庭教師をつけられたくらいですから、ご関心は持っておられたと思います。私も宝山荘時代のことはよくおぼえておりますが、お庭が広かったので、明 …

“青きドナウ”にお箸で拍子

 お食事を召上がっておられる時に、たとえばお好きな音楽──ヨハン・シュトラウスの“青きドナウ”──などが聞こえてくると、お箸をおとりになり、拍子をおとりになられるのです。  その時のご様子は、なんと申し上げますか、ほんと …

深夜、鉄の玉のころがる音

 大森における明主様のご創業時代、物心両面にずいぶん苦しかったころのある日、よくご浄霊をお願いにくるH夫人が、お子さまにというわけでしょうか、一台のコリントゲームを持ってこられました。  どういうわけか、それは何日間もお …