書籍

人格とご構想に感激

 私はハワイで弁護士を開業していますので、以前から世界救世教の法律に関する相談を受けていました。  ある年、私は急な用件をもって日本へ行くことになりましたが、この機会に、ぜひ日ごろ関心をもっている救世教を訪ねてみたいと考 …

簡単の中に無限のもの

 私が初めて明主様にお目にかかったのは、昭和十九年の夏、箱根の神山荘でした。お昼ご飯をごちそうになって、昼寝しなさいとか、風呂にはいりなさいとか言われました。それで、風呂にはいって、ゆっくり休ませていただきました。  と …

親切なお人

 私が大本の本部で奉仕していたのは、大正末期から昭和七年ごろまででしたが、そのころ、岡田さんが本部へいらっしゃる時は、たいていご夫婦揃ってでした。そして、いらっしゃると、いつも聖師様と愉快そうに歓談しておられました。   …

説くことよりも徳そのもので

 私の父は、当時近所に住んでおられた先代の坂東三津五郎丈の紹介で、岡田さんにお目にかかり、ご昵懇に願っていたようですが、私が岡田さんにお会いしたのは熱海へ移られてからです。  というのは、戦時中、私の家内と娘が熱海の水口 …

黄門みたいな方

 私は一介の御用商人ですが、明主様は目をかけて下さいまして、ほとんど身内の者のように扱って下さいました。明主様が、お寝みになっているお部屋まではいって行ったこともあります。明主様は、待ったなしで、御用があると、『来たか、 …

創造性に富んだ方

 私が岡田商店へはいったのは、大正二年でした。  当時は装身具の卸の店でしたが、岡田先生持ち前の創意工夫によって、次第に同業者を凌駕していかれました。  先生は、そのころ日本髪の装飾としては割貝、金板、金肉といったものを …

岡田茂吉翁追想

 私が岡田茂吉翁から令息三穂麿君に画の指導のご依頼を受けたのは、昭和二十二年四月である。細川護立さんから話があり、鶴見祐輔氏の紹介状をもって、中島一斎夫人が付添って三穂麿君が来られた。  茂吉翁ご夫妻が大磯の拙宅へ来られ …

霊力では抜群

 関東大震災の前年ですから大正十一年のことです。  私といまの夫の宮崎との恋愛事件で、新聞は書き立てるし、親戚は“家門を穢した”と怒るし、とうとう私は綾部の祥雲閣に隔離されるという羽目になってしまいました。  と申しても …

私は言う、奇跡の人と

 これはまだ、テレビという便利なものがなかった時の話です。 教祖は常にご身辺に携帯ラジオを置かれておりましたが、それが私には非常に印象的でした。それは舶来のすばらしいデラックスなものでした。といっても、もちろん、現今のト …

旦那さまがお仲人で

 私は十五の年から十九まで、大鋸町のお宅へ奉公に上がっていました。そして、旦那さまが親代わりになって、いろいろお世話下さいまして、その十九の時にお店の番頭と結婚しました。  同じころに、松山ますさんと一緒に働いていました …