「附記」

『神様がついている』

 昭和二十三、四年ごろ、救世会館の敷地工事に着手してまもない時で、まだ現在の梅園が買収されていない当時、大石垣を造るための砂利、砂、セメントは、すべて美術館敷地附近から、奉仕隊が肩に背負って担ぎ上げていた時代がありました …

まわりまわってご計画どおり

 瑞雲郷の道路造営については、明主様はよく、『ここは世界中からいろいろの人が集まって来るところだから、思い切って広い道をつくれ』とおっしゃっていました。  現在立派に出来ている、石雲台(美術館の予定敷地)の横からツツジ山 …

無から有を生ずるということ

 瑞雲郷の、現在信者休憩所になっている場所は、以前は、深いところは十間もある谷間でした。  その谷間は救世会館を造るため、裏の山を削って、出た土を捨てましたが、過不足なくぴったりで、千坪の広場が出来たわけですが、明主様は …

紅葉台建設の構想

 昭和二十九年の夏ごろのことですが、『日光殿の庭から見て紅葉の上に神山荘が見えるように造園せよ』とのお指図が、明主様からありました。  それで、早速、山紅葉約百本を買い取りまして、秋には、光明台下の敷地に仮植えしました。 …

俗っぽさもまた必要

 瑞雲郷の造営に当たっては、明主様は連日、現地の工事視察にお山へお登りになっていまして、私もしばしばお供を許されましたが、明主様がいろいろ説明して下さる、美しくて壮大なそのご構想もさることながら、一日一日と、明主様の一歩 …

ご自分の米を職人へ

 終戦直後のことです。そのころ、観山亭の建設が盛んに行なわれておりましたが、私は毎月お米の御用をしておりました。ところがいくらお届けしても、明主様は代用食を召上がっておられました。  ある日、明主様は、『私は毎日代用食を …

御神前にムシロとは何事

 昭和二十九年十二月二十二日、午後でありました。明主様に、あすの御生誕祭式典の下準備をご検分願うことで、救世会館にお出ましいただいた際であります。  “早朝参着する信者さんを寒がらせないように”との上司の意向で、会館内に …

自信があればたずねる必要はない

 救世会館の設計構想は、もちろん明主様がお立てになりましたが、何度も図面を引き直して、十数回の打合わせをし、“これでいいだろう”ということで始められたものでした。  私が救世会館の図面をお届けすると、明主様はとてもお喜び …

構想は大きく仕事は入念に

 初めて熱海の東山荘へ呼ばれた時、今度このお屋敷(それまでは山下亀三郎氏の別荘、私はそこの出入植木職)を買われたのはどんな方だろうと思いながら伺いました。しかし、その時は明主様のおえらさというものが掴めないままで戻りまし …

電灯ひとつも粗末にしない

 明主様は、火(電灯など)とか、水、紙などのように、比較的私どもが無駄にしがちなものを、大切にされる方でした。便所の豆電灯なども、ついているのを発見されると、『自分が消し忘れたのかしら』とわざわざ消しに行かれるほどでした …