救いのみわざ

見ずして内出血をずばり

 昭和十七年ごろのことです。  私の知人のご主人が戦死されたので、ご霊前へのお花をもって伺う途中のことです。  私の乗っていた電車が池の上駅附近で脱線したので、私は他の乗客とともに、つぎの下北沢駅まで線路の上を歩いて行く …

ちょっとしたお言葉の中の宝

 昭和十四年末、おそばにお使いいただけるようになりましてから、まもないころと存じますが、明主様から、ご浄霊をいただきます折、明主様は、『あなたはいつごろ盲腸の手術をしました?』とおききになりました。  それで私が、「はい …

夢のような話

 私の末の子が六つの時に、ある日曜日でしたが、外で遊んでいて急に頭が痛いと言い出し、熟は上がる、盛んに欠伸(あくび)をする──しまいには意識もハッキリしなくなりました。  疫痢ではないかと四人の医師に連絡しましたが、日曜 …

“術”ではなかった

 昭和二十三年の五月でした。観山亭の上の流れの工事をやっていた時、「おひかり」の紐がきれてしまったので、「おひかり」をかけずにおりました。  そんなある日、畑に陽が当たらないので、自宅の庭の杉の大木の枝切りをしていました …

五才の印象

 昭和十年、明主様が麹町半蔵門におられたころ、わたくしの一家は、みんな疥癬のご浄化をいただいたの です。  当時、わたくしは五才、下半身がひどい疥癬で、半ズボンから出ている脛は、まるで脚絆を巻いたように、包帯がぐるぐる巻 …

イボがない

 めったに本部へお参りしたこともないぼくが、明主様のご浄霊がいただけると聞いたので、行く気になりました。  明主様のご浄霊はどういうやり方か、教会の先生と同じかどうか、それも見たいと思って、他の信者さんが頭をさげているの …

浄霊ならぬ浄霊

 昭和二十九年夏、明主様が強羅にお住いになっていたころのことです。  ある日、私の不在中、妻は激しい歯痛の上に頭痛を伴い、自己浄霊しながらも執拗な痛みに、朝から呻吟しておりました。  すると、だれかが、明主様は午後お車で …

『治してやるよ』と簡単に

 昭和十四年四月、四才になる長女が急に足を痛がるので、病院へ連れて行って診察してもらったところ、いきなり「これはカリエスだ。これはいかん」と言われ、レントゲンをとりますと、なるほど右の大腿骨に大人の親指の先ぐらいの大きさ …

想念の浄霊

 ある時、お勝手で料理をしておりました奉仕者が、急に胸が苦しくなって吐きそうになり、どうしても仕事が続けられませんので、明主様は二階でお仕事中でしたが、ご浄霊をお願いにまいりました。  ちょうどその時、明主様はご推敲中で …

瀕死の病人が一回の浄霊で

 昭和十九年五月、明主様が東京から箱根へお移りになってまもなくのことでありました。静岡県吉原町で布教していた五十才ぐらいの某婦人、大浄化で生命も危ぶまれた時、正に必死の覚悟で明主様におすがりし、空襲の中をただひとり、気息 …